かく ちゅう
荻生 徂徠
1666 〜 1728


甲陽こうよう しゅ りょく どう

そう 三更さんこう 客袍かくほううるお

すべか らく るべしりょう しょう てん まれ なるを

よう ほう じょう いち りん たか
甲陽美酒緑葡萄

霜露三更濕客袍

須識良宵天下少

芙蓉峰上一輪高

(通 釈)
甲斐の国の特産である美味しい酒は、緑うるわしい葡萄から造られたものである。
この葡萄酒を味わっているうちに、夜もふけて三更となり、霜や露がおりて旅の衣も湿ってしまった。
こんなよい夜というものは、世の中にめったにあることではない。
ふと空を見上げると、なんと富士の高嶺に一輪の月が高く輝いている。まことに愉快この上ない。

○甲陽==甲斐に同じ。陽は南の意。
○緑葡萄==緑色をした葡萄。
○霜露==しもとつゆ。
○三更==五更の第三番目。子の刻。現在の午後十一時から午前一時の間。
○客袍==旅装。旅行服。 「袍」 は本来は綿入れの意。
○芙蓉==富士山の雅称。


(解 説)
甲斐 (山梨県) に遊び、その名産 「葡萄酒」 を飲み、名峰 「富士」 を眺めて、その感慨を詠った詩。
元禄三年 (1690) 、上総国 (千葉県) での十二年間にわたる蟄居を解かれた徂徠は、二十五歳で江戸へ戻ることが出来た。そこで、芝増上寺に居を構え、学に励むこととなったが、生活は貧しく、三度の食事にも事欠く状態であった。
その中で、増上寺の山主の紹介で、元禄九年 (1696) から柳沢吉保に仕え、講学のほか、政治上の諮問にも答えることとなった。
柳沢藩邸に寓居し、次第に名も知られるようになった。この間、吉保は宝永九年 (1704) から甲府十五万石の藩主となり、甲府にも赴くことになった。この詩は徂徠が吉保に従って甲府に行き、江戸に戻ってから 「峡遊雑詩十三首」 と題して作られた中の一首である。
なお、別に 「還館口号」 (館に還りてに口号) の題がある。
(鑑 賞)
起句は、李白の 「客中行」 の 「蘭陵の美酒 鬱金香」 と、王 翰の 「涼 州 詞」 の 「葡萄の美酒 夜光の杯」 をつきまぜた感じ。
承句は、季節の秋と時刻の夜半とを表す。起句とのつながりは唐突のようだが、これで葡萄のうま酒を縁側に出て心ゆくまで賞味していることがわかる。
転句は、良い夜というものは少ないものだ、と抑えておいて、その少ない良い夜が今夜だ、と結句の印象的な景を提示する。
結句は、李白の 「峨眉山月の歌」 の 「峨眉山月半輪秋」 と、王昌齢の 「春宮怨」 の 「未央前殿 月輪高し」 の影響があるだろう。
唐詩に返れ、と呼号した徂徠らしい “唐風” の色濃く出た詩である。
ただし、ここに描かれた情景は、甲州名産の葡萄酒といい、玲瓏たる富士山といい、純日本的な風趣であり、いうなれば中国の皮ごろもに日本の酒を入れたような味わいだ。