「 第3章  江馬細香 」


文化八年、菅茶山のもとを去って京都に出た頼山陽は、私塾を開きます。

高名な儒者の並びいる京都に、塾を開くのは、冒険であったといえます。

遊歴。諸国を訪ねて、揮毫と詩の応酬で生活の資を得るのは、儒者のあいだにも広く行われました。

 

その遊歴で、頼山陽には運命的な出会いがありました。

文化十年、美濃大垣に蘭医・江馬蘭斎を訪ねた山陽は、そこで才色兼備の

長女、江馬細香と邂逅するのです。

この邂逅のあとに詠んだ山陽の詩があります。山陽の期待と不安がないまぜになった心中が、詩に哀愁の響きをあたえています。



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山陽は、とっさに「再婚相手は、この人」と考えました。

結婚に興味のなかった細香も、才気に溢れた詩人を()の当たりにして、心が揺れました。

なぜ二人の結婚が成立しなかったのか、謎は歴史の闇に埋もれてしまいました。

この出会いの時から、二人は詩の師弟として、生涯にわたって、人も羨む交流を続けていきました。                                    



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生涯に七度、細香は山陽のいる京都に数カ月にわたって滞在し、詩友と連れ立った嵐山での花見、詩の応酬と酒宴に、めくるめく時を過ごしました。

 

山陽に細香との花見を待ちわびる詩があります。

五十を過ぎた山陽の少年のような感性が、この詩から伝わってきます。

細香は山陽のかくまでも瑞々(みずみず)しい感性を、手中の玉のように愛したに違いありません。



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