ぐう かん
杉浦 重剛
安政二 (1855) 〜大正十三 (1924)


さく としいま とすまた なに をかろん ぜん

げてみな どう とうと きを

さん ぷく ぎん ずるに えたり じん

じつ げつなら けてけん こん らす
昨非今是又何論

擧世皆知道義尊

三復堪吟古人句

雙懸日月照乾坤

(通 釈)
昨日まで非とする立場にいた者が、今日には是とする立場にいる。こんな節操の無い態度ではどうぢようもない。
世の中の人こぞって、道義の尊さを知っているではないか。繰り返し繰り返し吟ずべきは、古人の句である。 「太陽と月とを天空に並べて懸け、天地を照らすのだ」 と。

○昨==昨日。 ○非==あやまり。あやまち。
○今==今日。 ○是==正しい。
○何論==何を論じようか。論ずるまでもない。問題にならない。どうしようもない。
○挙世==国民一致して。 ○道義==人の守るべき道。
○三復==三度繰り返して。転じて何度も。
○日月==太陽と月と。ここでは摂政宮裕仁新王と久邇宮良子女王とを指したもの。
○乾坤==天地。
○結句 「日月を双び懸けて乾坤を照らす」 は李白の 「上皇西のかた南京を巡る歌」 其の十の結句をそのまま取ったもの。


(解 説)
教育者として時勢を慨嘆し、自らは大志を揚げて我が身を鼓舞しようとする気持ちを詠じたし。
大正十一年 (1922) 六月二十一日の作。この日、摂政宮と久邇宮良子 (クニノミヤナガコ) 女王との御成婚が勅許された。その慶びに托して世相を諷し、また、自らの気持ちを詠じたもの。
(鑑 賞)
この詩は、結句に李白の詩を用いたのがポイントである。
これは、唐の天宝十五年 (756) 庵禄山の乱によって玄宗が退位して蜀 (四川省) へ蒙塵 (モウジン) (難を避けること) し、太子であった肅宗 (シュクショウ) が霊武 (レイブ) (甘肅省) で即位したことを詠うものである。つまり、玄宗と肅宗が日月のように並び立たれた、とその盛大な様を謳歌したのであるが、実際には、玄宗は退位へ追い込まれたのだし、玄宗と肅宗の親子の仲も必ずしもしっくりいっていなかった。 浪々の身の李白が唐王朝に対して精一杯のお世辞を述べたわけである。
重剛は、この句を摂政宮と良子女王とを讃えるのに用いたのは、したがってきわめて大胆な試みといわねばなるまい。しかし、よく玩味してみると、なるほど、当時の暗い世相の中で (前年には原敬の暗殺があった) 、お二人の御成婚の発表は文字どおり日と月とが一どきに照らしたような明るさをもたらしたのだから、むしろ、李白の場合よりも適切だと本人が豪語するとおりだ。
李白の詩はお世辞を述べたものだとしても、さすがに、措辞雄渾で格調高く、それゆえに 『唐詩選』 にも採られているのだが、その最も勢いのよい一句に目をつけ、これを己の詩にはめ込んだのは、見事な着想というほかない。