九月五日、日本に着いてから色々歓迎の儀式があり、英世が母の待つ郷里へ向かったのは三日後の九月八日でした。
母シカは家の前の小道に出て待っていました。
五十メートル手前で人力車から降りた英世は、ましぐらにシカを目駆け出していました。
「おっ母・・・・。おれ、帰ってきた・・・・」
少年の言葉そのまま、英世は母に抱きつきました。
「清作!えがった、えがった」
シカはただうわごとのように言ってうなづき、英世の肩を叩きました。
苦難を分かち合った母と子の十五年ぶりの再会でした。
その後も歓迎会、講演会等が続き英世は忙しい日々を過ごしました。
十月七日、英世と母シカ、恩師の血脇守之助、小林栄両夫妻同伴の関西旅行が始まりました。英世にとって一生に一度の親孝行の旅でした。
大阪 箕面の 「琴の家」 の宴席で英世は出された料理を一つ一つ説明しながら、自ら箸をとって母の口へ運びました。これを見た大阪 「冨田屋」
の名妓八千代が、
「あれほど偉いお方が、周りに居並ぶ先生など眼中になく、ひたすら老いたお母さんに孝養をつくされている。私も母一人子一人の身だが、ああまではできない。」
といって、途中で席を外し、廊下の端で泣きました。
野口英世
その六
松口
月城
母を奉じて孝養 到らざる無し
妓女 傍着して 至情に泣く
偉人の影に賢母 有り
観音堂前 感謝の声
|
|
|
|
|