英世が大望を抱き日本を出て、早や十五年の歳月が経っていました。
今や世界の大医学者の名を恣にし、アメリカで研究を続けていた英世の下に一通の手紙が届きました。
母シカのたどたどしい平仮名で書かれた手紙でした。
文字を読むことさえ出来ないと思っていた母からの思いがけない手紙を読む英世の目には熱い涙が溢れていました。
母シカの手紙
おまイの。しせ (出世) にわ。みなたまけました。わたくしもよろこんでをりまする。たなか (田中) のかんのんさまに。さまに。ねん (年) よこもり (夜籠り) をいたしました。
べん京 (勉強) なぼでもきりがない。
いボし (鳥帽子 地名 ここでは債権者)(方) わこまりをりますか。
おまいか。きたならば。もしわけ (申し訳) かてきましょ。
はるになると。みなほカいド (北海道) に。いてしまいます。
わたしもこころぼそくありまする。ドかはやく。きてくだされ。
かねを。もろたこトたれにもきかせません。
それをきかせるト。みなのれ (飲まれ) てしまいます。
はやくきてくたされ。  はやくきてくたされ。
はやくきてくたされ。 はやくきてくたされ。
いしよ (一生) のたのみて。ありまする。
にし (西) さむいてわ。おかみ (拝み)
ひかしさむいてわおかみ。しております。
きたさむいてわおかみおりまする。
みなみさむいてわおかんでおりまする。
ついたちにわしおをたち (塩断ち) をしております。
ゐ少さま (栄簫様) に。ついたちわ。おかんでもろておりまする。
はやくきてくたされ。いつくるトおせて (教えて) くたされ。
このへんち (返事) ちまちてをりまする。
ねてもねむられません。

母シカは学校に通ったことは無かったのです。片手の不自由な息子が、異国の空の下で一生懸命勉強に励んでいる。自分も恥ずかしくないようにと、寺の栄昌和尚から与えられた仮名手本を、盆に灰を敷いて文字を書く練習をし、産婆の資格まで取って、多くの赤ん坊を取り上げたのでした。

西を向いては拝み、東を向いては拝む、
北を向いては拝み、南を向いては亦拝む。
僅かな送金を、大酒飲みの父親に、隠し
じっと懐にしまっている母
英世は声を張り上げて泣きました。

「おっ母!」  英世は即座に帰国を決意しました。

 野口英世 その五
         
松口 月城

大正四年 秋 九月

横浜 埠頭に 英姿を見る

朝野 歓呼して 医聖を迎う

恩賜の 旄賞 光 陸離たり