英世は満一歳のとき、囲炉裏に落ちて左手を大やけどし、まるで木のこぶの様にまりました。
「手ん棒、手ん棒やーい」 子供達に、囃し立てられ、学校へ行くのもいやになってしまったことがあります。
その時母シカは
「一生懸命勉強して立派な人間になってお前を笑ったものを見返してやれ。」
と、涙と共に励ましたのです。
お前を不倶にしたのは、この母と自分を責めながら。
英世はその時から必死の猛勉強を開始します。
忽ち主席となり、高等小学校へ進んでからも主席を通しました。
二十歳の時、英世は医者になるべく家の床柱に 「志を得ざれば、再び、此の地を踏まず」 と堅い決意を刻んで故郷猪苗代を後に東京へ向かいます。

 野口英世 その三
         
松口 月城

決然 笈を負て 東都に上る

誰か料らん 他年 偉人と為るを

苦学 医を学び 休むことを肯ぜず

更に波涛を蹴って 米州に向こう

陸機黒拉 研究所

努力研鑚幾春秋  

英世は東京へ出て医師の開業試験に一回で合格しました。しかし英世は単なる開業医になることには飽き足らなかったのです。
当時病気の原因は細菌によって起こると言う事が知られてきて、ドイツのゴッホが結核菌を発見し、フランスのエルザンはペスト菌を、日本の志賀潔が赤痢菌を発見していました。
開業医となって故郷に帰って生活するのでもどんなに素晴らしい出世であるか知れません、だが、
「患者を診るだけでは救う人間には限りがある、病気となる細菌を発見し、そのワクチンを開発すれば、何千否何万の人の命を救えるかも知れないのだ。」
そう考えた英世は死ぬまで細菌学に身を投じていったのです。

英世二十四歳の時、東京で案内役をした僅かな縁を頼りにペンシルベニア大学のフレクスナー博士を頼って単身アメリカへ向かいました。
「ナポレオンは三時間しか寝なかった」
ナポレオンは言っている、
「世の辞書に不可能はない」 と。
「ナポレオンも同じ人間だ」 それが英世の口癖でした。彼は殆ど寝る間も惜しんで細菌の研究に勉めたのでした。

1943年、英世は、梅毒スピロヘータの純粋培養という偉業を為し遂げ、世界の医学界の 「新星」 と注目を浴びたのです。

 野口英世 その四
         
松口 月城

一九一三年

世界の 耆碩 輸贏を競う

君 壇上に立ちて 意気 大なり

前人未発の大業績

満堂の学者 粛として声無し

独帝 手を握って功業を讃う

日東の男児 余栄 有り