親が子を思うと同時に、子も親を思います。
江戸後期の儒者で幕末の志士たちに多くの影響を与えた 「日本外史」 を著し、また優れた多くの漢詩を残した頼山陽。
彼は若い頃放蕩の咎により廃嫡の身となりました。しかし、後年京都に開塾し、生活の基盤が整った後は、郷里広島から何度も母を奉じて山陽道を往復、京へ迎えても、京都、大阪、滋賀 の名所見物、奈良吉野への花見等を共にし、孝養の限りを尽くしたのです。
母を送る路上の短歌
        頼 山陽

東風に母を迎えて來たり

北風に母を送りて還る

來り時は芳非の路

忽ち霜雪の寒と為る

鶏を聞いて即ち足を裹み

輿に侍して足槃跚たり

兒の足の疲るるを言わず

唯母の輿の安きを計る

母に一杯を献じて兒も亦呑む

初陽店に満ちて霜已乾く

五十の兒に七十の母有り

此の福人間得ること将に難かるべし

南去北來人織るが如きも

誰人か我が兒母の歓びに如かんや