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栄枯盛衰は兵家の常、武将の妻は何時の日か、夫の戦死を覚悟しておかなければなしません。
母は優しくまや強い心を持っています。
後醍醐天皇のお召しにより、執権北条氏の鎌倉幕府を倒す為に尽力し、最後まで天皇への忠節を貫いた楠木正成でありましたが、武家政権復活を望む多くの武士集団を引連れた足利尊氏の大軍の前に、湊川で華々しい戦死を遂げました。
正成の首級が故郷河内に届けられた時、十二歳の嫡男正行は、余にも変わり果てた父の姿を目のあたりにして、いっそ一思いに父の後を追って死のうとしました。
短刀をまさに腹に突き立てんとした時、その手を押さえ、涙と共に戒めたのはその母であったのです。 |
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小楠公の母を詠ず
本宮 三香
南朝の烈婦姓は楠木
許さず我が子の茲に腹を屠ふるを
桜井の遺訓汝忘れたるか
刀を奪い死を諫めて涙目に溢る
正行感激して誠忠を誓う
血戦幾たびか奏す竹帛の功
君見ずや斯の母在りて斯子在り
忠孝両ながら全きは小楠公 |
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