〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

楊貴妃は覇水を見た (八)

後宮の女のすることはきまっていた。相も変らぬ権力争いである。
皇帝は玉環との約束にそむいて、ひそかに梅妃のところへ通っていた。玉環はその現場を押さえて、皇帝をあわてさせたこともある。それから後、皇帝はもう二度と梅妃のところへは足を踏み入れないようになった。
六十を過ぎた老帝は、戦々兢々と玉環の機嫌を損じることばかりをおそれた。
玉環は皇帝にとっては、もはやなくてはならない人になった。彼女なしでは、もう一日も生きて行けない。
玉環は単調な宮廷生活に、自分の工夫で、さまざまな変化をつけようとした。
節度使安禄山を養子ということにして、肥満した彼のからだを、特大のおむつで包むような、ふざけた遊戯をしたこともある。
安禄山は玉環に愛相をふりまき、ずいぶん年下の彼女に向かって、
「お母さま、お母さま」 と甘えた声で叫ぶ。
玉環は音楽の天才といってよかった。それは、皇帝の心を慰めた。
皇帝の心を引き立たせたのは闘鶏などであろう。玉環も闘鶏見物を好んだが、それは幼馴染の賈昌に会える楽しみがあったからでもある。
神鶏童賈昌は、恭しくしていたが、玉環は彼の心の中の声が、いつも耳に入るように感じた。
(今日は顔色がすぐれませんね。どこかおからだの具合が悪いんでしょうか?)
そう問いかけてくることもあった。
「ほう、今日は上気しておられる。さては、お酒をすごしたのですな・・・・・」
と、からかう時もあった。
実際には、一ことも口をきいたことがないのに、想像の上でのやりとりは、かなり頻繁で、ほとんど他人という気がしなかった。
玉環はただ遊び呆けていただけではない。
彼女の登る階段の幅は、一人の女しか通れないようになっている。割り込んでくる恐れのあるものは、容赦なく蹴落としてしまわねば、彼女自身が墜落するであろう。
「宰相をお見習いなさい」 と、高力士が言ったことがある。
宰相李林甫は、ライバルになる恐れのある優秀な人材を、片っ端から退けたが、そのやり方は巧妙をきわめた。
たとえば、地方官でその業績が皇帝の目にとまって、中央政府に登用されそうな人物がいると、ひそかにその者に、
── 近く貴殿の登用が、廟議で問題になるはずだ。そてについては、あらかじめ上京しておいた方が有利ですな。なあに、勤めの方は病気ということにしておけばいいじゃありませんか ── と教えておく。
本人はその言葉どおり、病気を理由に休暇を取って上京する。
ところが、廟堂でその人物の登用が議せられると、宰相李林甫は、
「たしかその者は病気のため欠勤し、上京療養中ときいております。病弱なれば、その職に耐えられないでしょう」 と、謹んで答える。
「うむ、残念じゃな」 と、皇帝は諦める。
こんなふうにして、出来のよい人物は、皇帝の側近まで行くことさえ出来ない。
権力を握った者にとって、その維持は何よりも優先する。とくに無能意で権力の座についている者は、そうである。
玄宗皇帝は政事に飽き、もっぱら遊ぶことだけに関心を持つようになった。側近には有能の士がいないせいでもあろう。
皇帝が熱心になったのは、梨園の弟子の育成ぐらいのものであった。すぐれた芸能人を梨園に集めて英才教育を施し、彼らを皇帝の弟子と呼んでいた。日ごろの彼らの修業の成果を、時々皇帝みずから試すことがある。そんなとき、玉環もかならず供をしたのはいうまでもない。
梨園は美女の園でもある。皇帝を一人で行かせるわけにはいかない。
ある日、梨園で観覧中、玉環は皇帝の視線が、一人の美しい舞妓の姿ばかりを追っているのに気づいた。
玉環はそのあと、ひそかに太楽署令 (宮廷音楽主任) を呼び、その舞妓の名を聞いた。
「彩と申します。洛陽生まれの女です」 と、太楽署令は答えた。
翌日、玉環は皇帝と雑談中に、
「あの神鶏童、いつまでも童などと呼ばれていては可愛そうじゃありませんか」 と言った。
「は、は、あいつめ、いつまでも子供っぽいが、そういえば、もうずいぶんいい年になったはずだ」
「妻をめとらせてはいかがせしょうか?」
「心あたりがあるのか?」
「いささか、ございますれば」
「では、そちにまかせよう」
「陛下、梨園の弟子でございますが?」
梨園は皇帝に直属している。そこの人間を、勝手に引き抜くことは出来ない。
「かまわぬ」 と、皇帝は許可を与えた。
皇帝がその眼で追っていた梨園の舞妓の彩は、このようにして、神鶏童賈昌に妻として与えられた。
玉環は高力士のアドバイスのとおり、宰相李林甫を見習って、ライバルを追放したのである。
最大のライバルであった梅妃は、上陽宮にとじこもっったきりである。もちろん、そこへ皇帝の行幸はなかった。
ある日、梅妃の侍女の十八娘が、欄干から外を見て、少女らしい喜びの声をあげた。
「あら、わたしの故郷からの貢 (コウ) よ!」
表通りにやってくる荷馬車に、色とりどりの旗が立てられ、それには、
── 嶺南供使い
── ?(ビン) (福建のこと) 晋安 ── といった文字が読めた。
十八娘は、あるじの梅妃とおなじ福建の生まれで、故郷は晋安だった。
十八娘がそれをしらせると、梅妃は、
「実家からことづてがあるかもしれませんわ」 と、使いの者を問い合わせにやった。
彼女の実家は、南方からの駅使に、ときどき手紙などを託していたのである。
だが、使いの者は手ぶらで戻って、梅妃に告げた。
「あれは楊貴妃様へ献上の?枝 (レイシ) を運ぶ駅使でございました」
梅妃は唇をかみ、
「肥婢!」 (でぶの下女) と、ひとこと言ったきり、寝室に入った。
福建晋安の名産?枝 (レイシ) の実は、絶妙の美味を謳われているが、新鮮なうちに食べなければならない。
そこで、夜を日についで、福建から駅伝運送されるのだ。
十八娘が心配して、寝室に入ったが、いきなり頬を打たれた。
梅妃が侍女たちに暴力をふるったのは、これがはじめてである。
「おまえもでぶよ! ?枝 (レイシ) の実みたいに、ぶよぶよのでぶ!」
そう言って、梅妃は泣き伏した。
十八娘は黙って出て行った。
この少女は、梅妃の住む上陽宮には再び戻らなかった。

『胡蝶の陣』 著:陳舜臣 毎日新聞社発行 ヨリ