〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

楊貴妃は覇水を見た (七)

「貴妃さまが生きようと思召さば、梅妃さまを、お上からお退けになるほかはありませぬ。力士め、このあいだ梅妃さまから、ご相談を受けました。これからどうすればよろしいか、と。力士め、お答え申し上げ巻いた。楊妃さまをお退けなる以外に、進むべき道はございませぬ、と」
高力士は玉環にそう言った。奇をてらう発言ではない。すこしの嫌味もない言い方だったのである。
「力士はどちらの味方ですか?」
{どちらの味方でもございませぬ。お上にご奉公いたすのが、力士めの勤めでございます。ただそれだけでございます」
「では、お上の身になれば、どちらに勝ってほしいと思いますか?」
「お上に良かれと願えば、両貴妃様がお仲好く遊ばすのが理想でございます。しかし、そのようには参りませぬ」
梅貴妃の清楚と文芸の才、楊貴妃の濃艶と音楽の才、この二つながら楽しむことが出来れば、たしかに言うことはない。しかし、両雄は並び立たない。
── そのようには参りませぬ ── と言った力士の言葉が、ずっしりと重い。力士自身が、自分の口から出たその言葉の重さに、堪えかねているようだった。
「どちらが勝つと思いますか?」
玉環は訊き方を変えた。
「それは楊貴妃さまです」
「どうしてでしょうか?」
「梅貴妃さまは、融通性がございませぬので・・・・」
お世辞ではないのだ。
玉環は高力士のことが、しだいにわからなくなった。もしこの言葉がへつらいであれば、高力士はどれほどわかりやすい人物になるかもしれない。だが、すべてが本心かららしいので、かえってわからない。
「力士、おまえがさっぱりわかりません」
あるとき、玉環は正直にそう告白してことがある。高力士はそれをきくと、ゆっくりと首を横に振って、
「力士のことなど、わかろうとお思いになるのは、余計な事でございます。いつも申し上げておりますように、貴妃さまはご自分のことのみお考えを遊ばせ」 と答えた。
ほんとうは、おそろしい男かも知れない。それなのに、宮廷では宰相の李林甫の方が恐れられている。それが玉環にはおかしかった。
たとえば平慮 (ヘイロ) と范陽 (ハンヨウ) の節度使安禄山などは、たまに長安に来て参内すると、李林甫の前では小さくなり、ぶるぶる震える有り様だった。
安禄山は雑胡 (ザツコ) ── すなわち、父はイラン人、母はトルコ人であった。碧眼紫鬢 (ヘキガンシゼン) で、大へんな肥満漢である。
大きなお腹を抱えて、よちよち歩くさまはユーモラスだが、この安禄山は胡旋舞という、アクロバット・ダンスの名人でもあった。片足を軸にして、錐揉みのように、くるくる舞う。その軽やかなこと、信じられないほどである。
「面白い人ですね」 と、玉環は高力士に言ったことがある。
「たしかに、面白い人物ですが、彼は降りる事の出来ない階段をのぼっています」
高力士は無表情でそう言った。
玉環は、はっと胸を衝かれた。降りる事の出来ない階段とは、彼女が今登りつつあるものではないのか?彼女は肩をふるわせた。
「ところで、お上はもう梅貴妃さまのところへは、お出かけになりませぬか?」
高力士は話題を変えた。
「お上は、わたくしには、そのような約束をしてくださいましたが」 と、玉環は答えた。
梅貴妃との争いは、あらかた勝負がついたようである。玉環は階段を何段か登ったのであった。
(安禄山の階段とは、どんなものであろうか?)
と、玉環は考えた。
節度使というのは、地方の司令官で、兵力を擁し、地方に根を張るので、半ば独立国の王の観があった。
「貴妃さまの階段は、粉黛のかおりがいたしますが、節度使の階段は血なまぐそうございます」
高力士は玉環の心を見透かすように、そう言った。
この安禄山は、玉環が貴妃になった年に契丹を破り、武勇赫々 (カツカク) たる節度使として、二年後には御史大夫を兼ね、やがて東平郡王に封じられた。
あとは宰相の地位であろう。その宰相の席には、安禄山の苦手とする李林甫が坐っているのだった。
「貴妃さまにかかわり合いのないことではありませぬ」
高力士は宮廷内の権力争いについて、そう助言した。恩を売っておけば、将来なにかの役に立つかも知れない。とくに一蓮托生という関係を結べば、万一の時には、命にかけても力になってくれるものだという。
「他人のために命をすてるのは、なかなかできることではありませぬが、おのれが生きるためなら、どんな人間でも死にもの狂いになるものです」 と、高力士は言う。
「そうかも知れませんね」
「貴妃さまを御守りしなければ、おのれの命も危ないという人たちをおつくりなさい」
「どんなふうにすれば出来るのでしょうか?」
「ご一族を登用なさることです」
「わたくしには一族などございませぬ」
「楊家の親戚の方がおられます」
「わたくしとは血がつながっていませぬが」
「血など、どうでもよろしゅうございます。一蓮托生にさえなればよいのです」
「ではそのように取り計らってください」
やがて玉環は、自分と血のつながりのない楊家の人たちの立身出世を見ることになった。それはべつに嬉しいことではない。
姉たちが、つぎつぎに国夫人の称号を貰った。崔 (サイ) 氏に嫁した長姉は韓国夫人、裴 (ハイ) 氏に嫁した次姉は?(カク) 夫人、柳氏に嫁した三姉は秦国夫人となった。
子供のころ、玉環は彼女たちに意地悪をされた覚えしかない。それが今では、夢にも思わなかった贅沢ができる。それというのも、みんな玉環のおかげである。
亡くなった養父の楊玄? (エイ) でさえ、斉国公の位を贈られた。あれほど出世したがっていたのだから、さぞかし草葉の陰で狂喜していることであろう。
一族の持て余し者であった、再従兄 (マタイトコ) のサ (ショウ) も、玉環のおかげで機会をつかんだ。ずいぶんでたらめなことをした人物だが、それだけに機敏で、ものの役に立つ。たちまち監察御史に登用され、めきめきと頭角をあらわした。
サは玄宗皇帝から 『国忠』 という名を賜った。
楊サあらため楊国忠は、やがて出世街道を突っ走り、宰相李林甫と勢力を争うまでになった。
「むなしいとお思いになるでしょう?」
高力士は玉環の心をよく読んだ。
「ほんとにむなしいわ」
「しかし、階段が高くなれば、登る人はさびしく、そしてむなしいものです。いくらむなしくても、今更降りることは出来ませぬ。栄耀栄華な生活をなさるほかはないのです。それがあなたさまの運命でしょう」
「そうでしょうか?」
玉環はひそかに考えた。
(わたしは、こんな境遇を望んでいたのであろうか?)
望みさえすれば、覇水の神は叶えてくれるが、これはすこし違うようだ。

『胡蝶の陣』 著:陳舜臣 毎日新聞社発行 ヨリ