〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

楊貴妃は覇水を見た (六)

女冠となった玉環は、太真 (タイシン) という名を与えられた。そして女道士のsyがたのまま驪山 (リザン) の華清 (カセイ) 宮まで、皇帝に扈従した。
ある日、彼女に温泉に入れという、皇帝の命令が伝えられた。宮廷のしきたりでは、その夜の寵愛を受ける宮女に、そのような命令が下るのである。玉環はむろんその意味を知っていた。

春寒うしてよくを賜ふ華清 か せいの池
温泉水なめらかにしてこほれるあぶらすす
侍児 じ じたすおこされてきょうとしてちから な
始めてこれあらたに恩沢おんたく うくる時
白居易はその 「長恨歌」 に、このときの玉環の姿を右のように描写している。
湯から上がった玉環は、腰元に左右を支えられて、長い廊下を歩いた。階段の前まで来た時、彼女は突然目が眩んだ。
腰元がよろける彼女の腕をとらえた。
さすがに彼女も緊張していた。
面を伏せながら歩いていた彼女は、階段のところでも、下の数段しか見えなかった。だが、それがまるで天へ登る道のように、どこまでも続く無限の階段と思えた。その高さを思って、目が眩んだのである。
(ここまで来たからには、登りつめる他はない。降りることは出来ない)
玉環は自分を励まして、一歩ずつ階段に足をはこんだ。
管絃の調べに迎えられて玉環は広間に入った。彼女はうつむいて半ば目を閉じていた。肩がかすかに揺れていたが、おそれおののいたのではない。彼女は不思議に冷静になれた。寿王の妃として、宮廷の雰囲気には慣れている。それに、彼女は感慨を抜き去るという特技を持っていた。
皇帝に召されるという事実だけに、彼女はむきあっている。それに伴う、ねばっこい嘆息や、濡れた情感などは、せき止められていた。だから、恐怖に襲われることもなかったのである。
閨房での皇帝は、なにごとにも疲れ果てて、女体を求める時だけ、わずかに力を感じさせる人間であった。
(この人は、女の体だけが頼りなのだ。それしかこの人には救いがない)
玉環は自分に与えられた運命が、征服されるのではなく、支配することにあることを知った。
「今日、そなたを迎えた音楽は、わしがそなたのために、新しく作った曲ぞ。霓裳羽衣 (ゲイショウウイ) の曲という」
と皇帝は言った。
玉環はしばらく迷った。
玄宗皇帝は、音楽好きできこえている。宮廷楽団である内外の数坊を充実し、数千の妓女に音楽の稽古をさせていた。また、そのななから名手を厳選して、英才教育を施す機関も作った。それが 『梨園』 である。
しかし、広間で彼女を迎えた曲は、なにも皇帝の作ではなく、西域から渡来した 『波羅門 (バラモン) 』 という曲であった。
「波羅門の曲に、撃琴 (ゲツキン) を加えたものが、霓裳羽衣でございますか?」
玉環は思い切って訊いた。
胡曲波羅門に、おもに撃琴で変化を加えたものなのだ。
「そなた知っておったのか。は、は、は」
玄宗皇帝はハリのある声で笑った。
意のままになる女ではないが、歯ごたえがある。これはおもしろいぞ、と思ったのだ。
ひとしきり音楽が話題になったが、玄宗皇帝は彼女の造詣の深さがよくわかった。琵琶をよくすると聞いていたので、一曲所望したところ、梨園の弟子でも匹敵するものは希であろうと思われるほどの腕であった。
翌朝伺候した高力士に向かって、玄宗は言った。
「もう十八娘とやらを、何年もかかって養い育てることはないぞ」

楊玉環が宮中に入ったのは、天宝三年 (744) のことで、翌四年八月、彼女は貴妃となった。ときに二十六歳であった。
寿王には、別に左衛将武昭訓という者の娘が与えられた。
「夢のようでございました」
このころのことを訊かれると、玉環はそう答えることにしている。
「ぼんやりと夢ばかりごらんになれませぬ。いろいろとございまして・・・・・」
宦官の高力士は、そんな忠告めいたことを言った。
高力士に言われるまでもなく、彼女は夢見ながら天国への階段が登れるものでないことは知っていた。
彼女の見るところ、この高力士が最も皇帝の信頼を得ているようだった。高力士の姿を見れば、皇帝は安堵の色を浮かべた。
それの比べると、宰相の李林甫は、ずいぶん無理をして、その地位にしがみついている感じだった。 『口に蜜あり、腹に剣あり』 と評される人物である。
李林甫は高祖の従兄弟の曽孫 (ヒマゴ) だから、皇族のはしくれである。だが、彼に最も欠けているのは、高邁な精神であった。あれこれと策を弄して、政敵を陥れるのに熱中するだけであった。
もしこれが壮年期の玄宗皇帝なら、李林甫はもっと早く退けられていたろう。皇帝が年老い、政治に倦んでいたので、彼のような宰相でも勤まったのに違いない。彼はじつに十九年も政権の座に坐っていた。
高力士は宦官だが、眉目秀麗の美丈夫だった。もっとも玄宗皇帝より一つ年上というから、六十をすぎたはずである。しかし、疲れきった玄宗皇帝よりも、ずっと若く見えた。いつも胸を張り、背をまっすぐに伸ばして歩く。かって男性であったことすらない人物なのに、皇帝の側近で一番男らしいのは、皮肉というほかはない。ひげがないことだけが宦官らしいところで、あとは宰相以上の貫禄があった。
李林甫は反対に、堂々たるひげだけが、なんとか宰相の面目をつなぎ、そのほかは言語から動作に至るまで、宦官以下にしか見えない。
「頼れるのは高力士」
と、玉環は見抜いていた。
「ご自分のことだけをお考えになって下さい。ほかのことはお考え遊ばすな。力士め、いつにても貴妃さまのご相談に預からせていただきまするが、それとて貴妃さまご自身のことに限りますぞ」
高力士は何度もそう繰り返したが、そのたびに頼もしさは増すばかりであった。

『胡蝶の陣』 著:陳舜臣 毎日新聞社発行 ヨリ