〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

楊貴妃は覇水を見た (四)

開元二十五年、武恵妃が死んだ。
玄宗皇帝はひどく落胆した。それほど彼女を愛していたのである。貴妃えはなるが、皇后の礼を持って葬られた。
それ以来、皇帝は怏々 (オウオウ) としてたのしまない。
側近は、どうすれば皇帝の気を引き立たせられるか、そればかりに心を砕いた。
闘鶏なども頻繁に催された。
いまはもう 『童』 という呼び名はおかしな年齢だが、賈昌はまだ神鶏童ともてはやされていた。
寿王妃となった玉環は、皇帝臨御の闘鶏見物で、久しぶりに賈昌を見た。逞しい若者になっている。
賈昌も楊玄? (ゲンエイ) の養女が、寿王妃になっていることは、噂にきいていたはずである。また闘鶏見物のどの席に誰がいる、といったことも承知していなければならない。
神鶏童賈昌は、やはり玉環を意識していたようだ。できるだけ彼女の方を見るまいとしているらしい。
(どうだい、元気かい?)
玉環は顔をあからめた。からだじゅうが燃えるように感じた。手を握りしめたのは、闘鶏に熱中したせいではない。
彼女は闘鶏などほとんど見ていなかった。
鶏たちの死闘は終わり、玄宗皇帝はいつものように宦官の高力士を従えて退出した。そして輿のすこし前で立ち止まり 、
「寿王の妃の名は?」 と訊いた。
息子の嫁の名も知らないのである。もっとも、寿王が十八番目という子沢山なので、いちいち憶えてはいられないのであろう。そのうえ、高力士という、生きた宮廷百科事典のような人物が、いつも身辺にいるので、こまかいことは彼の記憶にゆだねたほうがよいわけだ。
「はっ、玉環と申し上げます」
「父は?」
「先年亡くなっております。生前は微官にすぎませんでした」
「寿王には別の妃を与えよう」
玄宗皇帝のこの言葉は、きわめてはっきりと、寿王からしの妃を取り上げる意思を表明したものである。
「ちと面倒な手続きが必要かと存じます」 と高力士は言った。
「面倒すぎてはならんぞ」
「はい、なにせご子息の嫁でこざいますれば」
「高宗皇帝は、先考 (センコウ) (亡父のこと) の後宮にいたわが母を納 (イ) れたぞ」 と皇帝は言った。
玄宗の祖父の高宗は、父の太宗の没後、父の後宮の美女武照が尼となっているのを、還俗させて皇后に立てた。これが則天武后なのだ。
「皇后さまは仏の道に入りまして、いったん人間界の俗関係をお断ち遊ばしました」
「じゃ、それを踏襲しよう」
「そのとおりでは芸がございませぬ」
「ではどうする?」
「この前は尼僧、このたびは女冠ではいかがなものかと・・・・・」
女冠とは女道士のことである。このころの玄宗は、仏教よりも道教に心をひかれていた。
「ほう、女冠か、それはいい、髪を剃らずにすむではないか」
「御意」
高力士は先ほどから、眉一つ動かさずに、息子の嫁を奪う皇帝の計画に、力を貸しているのだった。表情を失った顔である。それが深淵を思わせた。能面のように。
「闘鶏にせよ歌舞音曲にせよ、朕はともに楽しめる女がほしい。梅妃はよい女ではあるが、鶏の血を見るのはいやじゃと言いおる」 と、皇帝は言った。
梅妃は福建の医師の娘で、姓は江 (コウ) 、名は采蘋 (サイヒン) である。教育のある美女で、武恵妃亡き後、後宮の女性群の中で、玄宗の気に入るのは彼女だけであった。詩を作り、絵もよくする。詩材や画題は、いつも梅なので、玄宗は彼女に梅妃という名を与えた。学問あるが、一緒に闘鶏を楽しむにはむかない。
「万全の女は、なかなかおりませぬ」
「探そうではないか、あきらめずに。ともに詩文を語り、ともに闘鶏を楽しめる、そんな女を」
専制の大権は、そんな女を探すためのものだ。あきらめるというのは、帝位についたのが無意味だったというに等しい。それでは、玄宗皇帝李隆基という人間そのものが抹消される。諦めるわけにはいかない。
「力士めが思いまするに、何年もかかって探しますよりは、何年もかかって、幼女をそのような万全の女に養い育てるほうがよろしいのではございませぬか?」
「は、は、は、おまえは気が長いわ。今日見た寿王の妃が、ひょっとすると万全の女かも知れぬぞ」
高力士はそれには答えずに、
「梅妃さまのあのちっちゃな小間使い・・・・・十八娘 (ジュウハチジョウ) と申します福建娘、あれなど、顔立ちといい才気といい、童女ながらなかなか見事でございます」 と言った。
「どもおまえは、おのれの意のままに、幼女を理想の女にそだてたいのじゃな?」
「我が意とは、滅相もございませぬ。恐れながら力士め、陛下のみ心を心として、御奉公いたしております」
高力士は男性の機能を喪失した宦官である。しかも彼は閹 (エン) 童といって、幼少の頃に宦官用に去勢された人間なのだ。罪を得て宮刑に処された人間なら、男性であった時期をもつ。しかし高力士には男性時代が無い。理想の女を、彼に描けるわけは無かった。ひたすら主の心をおのれの心とした彼は、玄宗の美意識でものを見ることができる。── いや、それしか出来ないと言った方がよいだろう。
「わかった」 玄宗は高力士の熱意にほだされて、なんども頷き、 「寿王の妃がだめなら、その十八娘とやらを、そちに預けることにしよう」

『胡蝶の陣』 著:陳舜臣 毎日新聞社発行 ヨリ