〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

楊貴妃は覇水を見た (三)

長安は碁盤の目のように整然とした都で、五十五の坊にわかれている。東西のマーケットを除いて、坊名にない区画が二つあった。一ばん東の列、すなわち朱雀門東第五街の北端と南端である。南端はほとんど曲江 (キョッコウ) に占められた扶養 (フヨウ) 園で、北端は十六宅といって、皇族の居住区なのだ。
はじめは十王の邸宅があり、もち六王ふえたころ 『十六宅』 と呼ばれ、それが地名になった。王とは皇帝の兄弟と皇帝の息子のことである。皇帝の孫達が成長後に住む 『百孫院』 もこの一画にあった。
寿王の邸も十六宅にあったのはいうまでもない。王の邸には、それぞれ四百四名の男女が召し使われていたのだから、その宏壮なこと東雲竜門外の楊家とはくらべものにならない。
(これが出世なのか?)
玉環は納得しかねていた。
夫の寿王は、彼女より一つ年下の十五歳であった。木彫りの鶏をぶつけ合って、闘鶏ごっこに夢中になる少年である。
「神鶏童みたいに、ほんとうに闘鶏場のなかに入れたらなあ」 と寿王はあどけないことを言った。
「わたくし、神鶏童の賈昌を存じております」 と玉環が言うと、少年は目をかがやかして、
「ほんとうか?」 と、訊いた。
「近くに住んでいました。あの人が鶏坊に召されてからは会っていませんが」
「そうか、やつはどんなふうだった? やっぱり鶏とものを言っていたかい? 鶏の言葉がきけたって、ほんとかい?」
少年は身を乗り出した。
まるで世間知らずで、よくいえば純粋なのであろうか、そのくせ男女の営みのことについては、いやらしいほど通じていた。閨房のなかの寿王は、いっこうに可愛気がなかった。
「おまえはどの女よりもいいぞ」
ちょっと上を向いた鼻を、犬のようにくすんくすんと鳴らして、寿王はこましゃくれたことを言う。
こんな少年に四百人もの大人が仕えていることを、玉環は不思議に思った。
「皇帝陛下だっておなじかもしれない」
彼女はそう考えるようになった。
身辺に侍り、とくに閨房をともにすれば、相手が至聖といわれる皇帝であろうと、ただの煩悩の人間に過ぎないことがわかるに相違ない。
── 玉環はそんなふうに、悟った心境になったのである。
今上陛下までさえ、長い間そば近くに仕えた宦官 (カンガン) の高力士 (コウリキシ) だけには、どうしても頭が上がらないという。そんな巷間の噂も、玉環にはじゅうぶんうなづけるのだった。
寿王の邸では、從三位品 (ポン) 官の傅 (フ) が、すべてを取り仕切っている。そのほか諮議参軍事、長史、司馬、友、侍読 など、朝廷から派遣された高官だけでも数十人もいた。彼らには不思議な活気があった。ふくらんだ期待を、焦慮が揺すっているのだ。
自分たちの仕えている寿王の生母武恵妃が、いまのところ皇帝の愛情を独占している。廃された王皇后はすでに死んで、目下皇后の席は空位であった。武恵妃が皇后に昇格しないのは、彼女が唐朝を一時簒 (サン) 奪した則天武后の一族なので、反対が多いからにすぎない。 皇帝は彼女に皇后に準じる待遇を与えている。武恵妃もそれに甘んじているが、そのかわりに、寿王を皇太子に立てようと、様々な工作をしていた。寿王邸の人たちは、みなそのことを知っている。
あるじが皇太子となり、皇位につけば、いまそば近くに仕えている人たちは、大唐帝国皇帝の側近となるだろう。
「そのうちに引越しだ」 と公然と言うものもいた。
皇太子に立てられたなら、この十六宅の邸を出て、禁裡の東宮に居を移さねばならない。
そんな不謹慎な放言をたしなめる者もいない。寿王邸の人たちは、出陣前の武者震いにも似た興奮に包まれていた。
彼らにまして異常であったのは、楊玄? (ゲンエイ) の興奮振りであろう。長い間下積み生活に喘いでいたが、養女の出世によって、遠からず浮かび上がれそうなのだ。どこまで浮ぶのか、それを想像しただけで、胸がわくわくしてきた。
この興奮が体に悪かったのか、彼は間もなく急死した。養父の死を聞かされても、玉環はたいして悲しいとは思わなかった。
(頼られるなんてご免だわ)
寿王邸の後宮に入るとき、彼女は養父への反感から、ふと心にそう呟いた。
ウッカリ漏らした願望を、覇水の神がききとどけて、養父を殺したのかも知れない。いや、それに違いない。
── 玉環は楼にのぼり、東に向かって言った。
「これからもどうぞお護りください!」
邸内の一番高い楼に登れば、覇水が白い帯のように見えたのである。
彼女が楼から下りて廊下を歩いていると、隣室で寿王邸の博や長史たちが、大きな声で話し合っているのが聞こえた。
「やっぱり、あの女を王妃に封册 (ホウサク) していただくことにしよう」
「そうですな、どうやらそのほうが有利でしょう」
「あの女、琵琶はことのほか達者だし、声も素晴らしくよろしい」
「それで、ご生母様がお目をとめられたのじゃ」
「公の席に出れば、陛下もお気に召すじゃろう。いまは、なによりも陛下のみ心をとらえるのが肝要じゃから・・・・・」
近くの廊下を、玉環がよく通ることは、みんな知っているはずだった。それなのに、彼らは声さえひそめない。
所詮、 「あの女」 と呼ばれる玉環は、彼らの道具にすぎないのであろう。寿王立太子のための有利な武器なのだ。
玉環はこのときはじめて、自分に目をつけたのが、武恵妃であること、そして自分を選んだ基準が、皇帝陛下の気に入るかどうかという点にあったことも、知った。
封册使が寿王邸に来て、楊玉環を寿王妃にすることを正式に承認したのは、その翌年のことであった。封册使は、のちの宰相李林甫 (リリンポ) だったのである。

『胡蝶の陣』 著:陳舜臣 毎日新聞社発行 ヨリ