〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

楊貴妃は覇水を見た (二)

覇水は私の守り神)
王環はそんな気がした。
十四、五 になると、もう世の中の事がかなりわかってくる。そして自分のことも。
自分が楊家とは何の血縁も無い孤児であること、ひょっとすると貧窮した親に売り飛ばされた子かもしれないことも、いつとはなしに察してしまった。
本来なら、もっと辛い目に逢わねばならない。それなのに、養父をはじめ、楊家の人々は、玉環になにやら遠慮をしたり、にえすいたお世辞を言ったりするようになった。
どうやらそれは、あの覇水という大きな河を見てからのことだったようだ。
あのとき、養父の楊玄? (ゲンエイ) は友人と一緒であった。何の用事があったのか、年端もゆかぬ玉環にはわかるはずもない。それに、河の印象が強烈すぎて、ほかのことはほとんどおぼえていないのである。
琵琶は四弦のも五弦のも習った。
横笛も縦笛も吹けるようになった。
琴や箜篌 (クゴ) (ハープ) の手ほどきも受けた。
素質がある上に熱心だったので、上達は驚くほど早かった。先生が舌を巻いて、こんな筋のよい子葉はじめてだ、と養父に言ったのは、けっしてお世辞ではなかったのだ。
玉環は自分を養ってくれた恩は、もちろん忘れてはならないと思う。だが、人間として、どうしても尊敬する気になれない。いつもイライラして、愚痴が多い。
サンザン愚痴をならべたあと、
「ま、あわてるこたあないや」 と言い、じっと玉環の顔を見つめる。
楊玄? (ゲンエイ) はあせっていたのだ。出世が遅い。それも道理で、ちょっとした官職についても、仕事をうまくやれない。かんたんな仕事にもしくじるらしい。
「子供でも出世しやがって。・・・・ああ、おれも学問なんぞ止めて、鶏に餌でもやっておけばよかった」
自分の才能は棚に上げて、楊玄? (ゲンエイ) はそんなことを言って唾を吐いた。
子供でもというのは、賈家の動物きちがいの昌のことである。東雲竜門のそばで、鶏と楽しげにたわむれているのが、皇帝の目にとまって、 「鶏坊」 に出仕せよという沙汰が下りたのだ。
玄宗皇帝は即位前から闘鶏が大好きで、闘鶏用の養鶏所をつくった。それが鶏坊である。
── 金毫 (キンゴウ) 、鉄距 (テッキョ) 、高冠 (コウカン) 、昂尾 (コウビ)
すなわち金色の羽根、鉄のような爪、とさかの高い、尻尾のつき立っている、獰猛なケンカ鶏を千数百羽も養った。そして、数百の少年がその世話をしている。
出仕した賈昌は、このおびただしい闘鶏の親分になってしまった。鶏の言葉を知っているようで、彼が奇妙な声をあげると、鶏どもは意のままになる。皇帝はそれを聞いて、彼を鶏坊の長とし、近衛隊長の俸禄を与えた。それが賈昌の十二歳のときだった。
玄宗皇帝が秦山の神を祀るときも、賈昌少年は三百羽の闘鶏を籠に入れて扈從 (コジュウ) した。また皇帝の避暑避寒の温泉行きにも、彼は闘鶏服のままで拝謁を許された。
世間では賈昌のことを 『神鶏童』 と呼んだ。
長安の大スターである。
出世の出来ない楊玄? (ゲンエイ) は、近所で顔を知っているだけに、神鶏童にむかって、素直に拍手を送る気になれない。神鶏童の話が出るたびに、
「ちぇっ、ちぇっ!」 と唾を吐きつづけた。
その女性的な嫉妬が、玉環のはたまらなくいやであった。そして、その終止の台詞を待った。
「いまに見ておれ!」
最期には楊玄? (ゲンエイ) はそう言う。
そんなふうに締めくくるのが、愚痴男の癖であろう。だが、そのときに、きまって玉環の方に目を向けるのは、いったいどういうことなのか? ながいあいだ、彼女はその理由がわからなかった。
「昌ちゃん、よかったわね」
玉環は心から喜んだ。それでも、ちょっぴりさびしかった。闘鶏狂の皇帝陛下なので、鶏坊の勤めがいそがしく、昌が東雲竜門の自宅に帰る暇はあるまい。

開元二十二年 (734) 、十六歳の玉環は寿王の後宮に迎えられることになった。
寿王は玄宗皇帝の第十八子で、名を瑁 (ボウ) という。皇帝の最も寵愛する武恵妃 (ブケイヒ) の生んだ子である。
王皇后には子がなかった。
皇太子の瑛 (エイ) も嫡出でないことにかけては、寿王瑁とおなじである。しかも、皇太子の生母は、すでに皇帝の寵愛がさってしまった女性であった。
──皇太子の廃立があるだろう。
世間ではそんなふうに噂している。
瑛が廃せられたなら、代わりに立てられるのが瑁であることは、誰一人疑わなかった。
その寿王瑁に見初められたのだ。
どこで、そんなふうに、王子の目にとまったのか、玉環にはおぼえがない。寿王の邸に入るまで、彼女は王子の顔を知らなかった。
家を出るときに、養父の楊玄? (ゲンエイ) が、
「いまに皇太子妃だ、いまに皇后だ。・・・・・ざまあみろ、鶏の餌係なんぞとは、段がちがうんだぞ」 と言った声が、耳にこびり付いてはなれない。できることなら、耳の中をきれいに洗いたいほどだった。
その嫌な声を振り払おうとして、玉環が思い浮かべたのは昌のことだった。昌の思い出は、それほどさわやかなのだ。
「昌ちゃんに会えるかもしれない」
まだ見ぬ夫の寿王瑁を待つ間、玉環はそんなことを考えていたのである。

『胡蝶の陣』 著:陳舜臣 毎日新聞社発行 ヨリ