玉環は五つか六つの童女のころ、長安城の東を流れる覇水を見た。生まれてはじめての大きな河を見たのである。興奮した彼女は、宜陽 (ギヨウ)坊の家に帰って、近所の子供たちに、その驚きを伝えようとした。
乏しい語彙のなかから最上級の表現を選ぼうとするが、うまく出てこない。もどかしいので、両手を広げたりなどして、その大きさを表現した。 「なんでえ、そんなもの。北にゃもっとでっけえ、向こうの岸が見えねえ河があらあ、おれ、見たもんな」
近所の男の子にそう言われて、玉環は唇をかんだ。生まれたばかりのひょこを両手に抱いているその男の子を、彼女は大きな目でにらみつけた。 彼女はこのときはじめて、自分の性格の突出した部分に気がついた。
自分に共鳴してくれない人を、どうしても許せない。そんな人間がいることに辛抱できない。口惜しくてたまらないのである。 といって、彼女はわがままに育ったのではない。父と呼ぶ人が実の父ではなく、自分は将来この楊家で小間使いとして働かねばならないことを、玉環は本能的に感じ取っていた。
我慢しなければならないことが、さぞ多いであろう、それなのに、こんな感情的で、堪え性がなければ、いったいどうなることやら。── 子供心にも、彼女は自分の将来に脅えた。
唇をかみしめてにらんでいるうちに、涙がこぼれてきた。口惜しさのほかに、はじめて感じた未来への不安も、その涙のなかにまじっていたのである。
「ないたぞ、や〜い、泣き虫、や〜い泣き虫!」 と、その男の子ははやし立てた。 「昌 (ショウ) ちゃんなんか、早くどっかへ引っ越しちまい!」
泣きながら玉環は叫んだ。 昌というのは、その男の子の名前である。賈 (カ) という姓の竜武軍の将校の息子だった。彼の父親は、玄宗皇帝が韋后に対してクーデターをおこした時、率いた軍隊の一兵だったので、昇進して長剣を帯び近衛将校となった。
賈家はもとから宜陽坊に住んでいたが、 ──近衛の将校は、なるべく営に近い場所に住むべし ── という息に従って、近いうちに東宛の東雲竜門 (トウウンリュウモン)
のそばに転居することになっていた。 「おう、引っ越すとも。おそれ多くも、お上の思し召しだからな」 昌は大人びた口のきき方をした。彼は玉環より四つ年上だったのである。
「あたいも、せいせいするわ。昌ちゃんも、お城の外なら、豚でも牛でも飼えるわね。豚と仲良くなりなさい」 玉環はそんな意味の憎まれ口をたたいた。
昌は動物きちがいであった。家のものにせがんで、鶏、小鳥、犬、猫 など許される生き物ならなんでも飼った。 せいせいする、と玉環が言ったのは、子供ながらも屈折した表現であった。
動物を見るときの、昌の優しい目を、玉環はだいすきだったからである。じっさいに賈家が引っ越したあと彼女は自分でも意外にさびしく感じた。 ところが、半年もたたないうちに、玉環の家も城外にかわることになった。それも東雲竜門外であった。賈のすぐ近くなのだ。
「あたいに願いごとは、みんな叶うみたい」 と、玉環は思った。 引っ越したあと、養父が琵琶の先生を連れて来て、弾き方を習えと命じたのである。
玉環はどんなに琵琶を弾きたかったことであろう。宜陽坊は色里として有名な平康坊の南隣のブロックであった。東はにぎやかな東市に接している。ほろ酔いの遊び人や妓女が、琵琶をかき鳴らしながら逍遥しているのを、彼女はよく見かけた。そのたびに、音曲への憧れがつのったのである。
だが、彼女はそれを口にしたことはなかった。自分が楊家の子でないことは知っていたし、げんにあまり大事にされていない。養父の楊玄? (ゲンエン)
は、下婢にたいするように鞭打こそしなかったが、彼女を蹴飛ばすことはしょっちゅうであった。 「あたいも、もっと大きくなれば、鞭でひっぱたかれるわ。いまはちっちゃいので、かんにんしてもらっている」
玉環はそう信じていた。 どうして琵琶を習いたいといえるだろう。それなのに、彼女がねだりもしないのに、琵琶の先生がやって来た。 「もっと大事にされてみたい」
というのは、童女の当然の願望であろう。叶わぬ望みと思っていたのに、引越しの前後から、目に見えて待遇がよくなったのである。 自分の感情の激しさに対する不安は、まったく無くなったのではない。貴妃となってからも、ときどき襲われた。だが、幼い玉環は、それに対抗する大きな武器が自分にあるらしいことを、このころから感じていたのである。
心で願えば叶えられる。 もう少し大きくなると、彼女は自分が持っている別の武器にも気づいた。 それは美貌である。 |