~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第四章 奸 計 (一)
阿漕あこぎは気が気でなかった。
(北の方は、お姫さまをどうなさるつもりかしら。ああ、どうしたら・・・少将さまさえいらして下されば)
とおろろしつつ、目もくらむ心地である。しかし、あとを追ってもいけないので、北の方が蹴散らかしていったものを 片付けたりしていたが、不安でいっぱいだった。
姫君は夢中で中納言の前に曳き据えられ、ばったりと突き飛ばされて坐らされた。北の方は興奮と劇場の余り、息をきらせていた。
「やっとこせっとで、連れて来ましたよ」
北の方は興奮すると、賤しい生まれの言葉が勢いよく唇からのぼってくつ。
「私が自分で足を運ばなければ、とってもやっては来ませんよ、大人を馬鹿にして」
「すぐ閉じ込めて置け、見るのも、いやだ」
中納言はほんとに、いやそうに姫君から目をそらせた。中納言は、北の方の言葉を信じ切っているので、姫君が身分卑しい男と密通したというのが許せないのである。さながら、淫乱女であるかのごとく、さもいとわしそうに顔をしかめ、手を振って追い払い、姫君は涙が流れて、ひとことも言葉が出て来いない。
「さ、お立ち、こっちえ来るんだよッ!」
北の方は姫君を引きずって雑舎へ連れ込んだ。
女にあるまじい乱暴無残なふるまいであるが、女だからこそ、残忍になれるのである。
女は、かっとなると男よりも激越な所行が出来るものである。
姫君は、北の方のおそろしい形相ぎょうそうに死んだようになってしまって、引きずられるままになっている。
枢戸くるまどのあるひさしの間の部屋で、酢や酒や、干魚などの乱雑に置いてある部屋に、薄縁いうすべり一枚を入口に近く敷き、北の方は姫君を、どんと突き飛ばしてそこへ入れた。
「わがまま勝手にする人間は、こんな目にあうんだよ。よく反省するがいい。もう男にも逢わせないからね。そのうち、男はお前のことなんか忘れるだろうよ」
北の方は、乱暴に錠をさして、足音も荒らかに去って行った。
姫君は、いろんな物のひどい臭いが鼻につき、こわごわあたりを見回してみて、あんまり汚い、恐ろしい場所に閉じ込められたため、驚きのあまり涙も止まってしまった。
なぜ、こうまで北の方が、自分にひどく当たるのか、そうし、父まで、自分をさも嫌なもののようにみるのか、さっぱりわからなくて、それはやはり、姫君と少将とのことが発覚したからだろうか、と思うと、恋することは、これほど罰せられねばならぬことであろうか。
(阿漕にあいたい。阿漕、助けておくれ)
と姫君は声を出して泣いてしまった。
北の方は落窪の間にやって来た。北の方は落窪の姫君の部屋から、かねて目星をつけていたものをろうと思ったのである。
姫君は、身分高い家柄の母君からゆずられた、由緒ただしい手まわりの品を持っていたからだった。
北の方は、女童のつゆがいると思って、
「櫛箱があったね」
と呼ばわりつつ、入って来た。
「櫛箱をどこへやった。こましゃくれの、出すぎ者の阿漕が、どこかへ隠したんじゃないか」
阿漕はまだ部屋にいた。北の方が蹴散らして行った道具を、泣きながらとり片付けていた所だった。
「ここにしまってございっます」
と阿漕が几帳から出て来て言うと、さすがに北の方は、すぐ櫛箱を取り上げることも出来ず、
「おや、お前はまだ、うろうろしていたのか。なんでとっとと出て失せないのだえ。出てお行き、と言ったではないか。この、おちくぼの味方ばかりする小童こわっぱめが」
北の方は阿漕の髪と衿をつかんで、引きずり出した。
「すぐにでもこの邸を出てお行き!」
北の方は、落窪の部屋を閉め、大きな錠をさして、
「ここは、私が開けない限り誰も開けてはいけないよ」
と女房たちに言った。
人々は、北の方の見幕におそれて、震えながら、
「は、はい・・・」
とうなずく。北の方はわが居間へ引き上げながら、
(うまくやった。あとは、あの好色爺の典楽の助に、おちくぼをおしつけるだけだ)
と、にんまりしていた。
2026/05/20
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