~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第四章 奸 計 (二)
阿漕はすごすどと自分の部屋に戻って来た。
北の方に邸を出て行け、と追い出されたって、阿漕としては却って好都合というものである。阿漕を迎えようと言ってくれる、有力なパロロンの叔母もいるし、愛する男もいるのだ。こんなしけた邸は、あと足で砂をかけて出て行ったらよいのだ。
しかし、残された姫君はどうなさえうであろうか、阿漕を唯一の味方と頼んでいられる人を捨てておいて、自分だけ安逸な生活にどうして入れようか。
(そうだわ、あたしが出て行ったら、お姫さまと少将さまの仲をとりもつ人もいないんだわ。少将さまに、お姫さまのご様子を連絡する係りがいなくてな。何としても、少将さまに助け出して頂かないといけないんだから・・・どんなに腹が立っても、今ここを出ていっちゃいけないんだわ)
と阿漕は思い返した。
阿漕は急いで、三の君の部屋へ行った。
「お願いでございます。私をお救い下さいまし」
阿漕は三の君にひたすら、哀願する。
三の君は、阿漕がお気に入りだった。美しくて怜悧で心ざまふかく、よく働く。
夫の蔵人の少将が、「いい女房を使っているね」とほめたのので、三の君は、自慢に思っているのだった。それで阿漕が、泣きながらやって来て訴えたので驚いたのである。
「大変なことになったのでございます。私の身におぼえのないことで、北の方さまのお叱りを頂戴してぢまいました。北の方さまは、こんどの落窪の君もことで、私を誤解なさって、出て行けをおっしゃるのでございます」
「落窪の君のこと?」
三の君は、聞くのもおぞましい、というふうに眉根をよせた。
「あの人のことで、私がどれだけ蔵人の少将さまから嫌味や皮肉をいわれ、肩身狭い思いをしたか。思うと、腹が立つわ。阿漕や、お前はほんとうに、おちくぼと帯刀のことを知らなかったの?」
「私が何を存じましょう。私は被害者なのでございますわ。帯刀は私を裏切っていたんでございます。おちくぼの君が何をなさったか、私は存じません。あちらの方とは、小さい時から一緒に育ちましたというだけで、現在お仕えしているのは、こちらの三の君さまお一人でございます」
阿漕は夢中で言い立てている。
(筆者註・これで以てみてもあんまり「心利いた」「役に立つ」「デキブツ」の使用人、というのは考えものである。「人を使うのは二番手、三番手の人間が良い」というのは人生の達人の至言である。── しかしまあここは、阿漕の姫君への愛情に免じて、読者に目をゆぶって頂くことにおしよう)
「こちらさまでは、私をやさしく御使い下さいましたので、私は、よそへ行きたくないのでこざいます。落窪の君のせいで、北の方さまが私までお憎みになるのは辛いことでございます。どうか、三の君さまからよろしく、おとりなし下さいまし。北の方さまのご不興を、おなだめ下さいまし。私、こちらさまのおそばを離れたくはございません」
三の君は、若い女性らしく、すぐ、単純に信じた。それに阿漕を手放すのも惜しいので、北の方のところへ行って、とりなした。
「お母さま、阿漕には罪はございませんわ。なぜお叱りになるの。私はいつもあれを使い慣れていますから、いなくなると不便でございます。ここで召し使ってもいい、とお許し下さいな」
「だめですよ、あれは油断できない子だよ、どうも、陰でこそこそしておちくぼのためばかり計っているのよ」
「そんなことありませんわよ。阿漕は私に一生けんめい、やってくれますもの。私に侘びを入れて頼み込んで来るのが、いじらしいんです」
「妙に、あの小童は、お前と気が合うんだねえ。── おちくぼのことだって阿漕が後で糸を曳いているのだよ。あのおちくぼみたいな色気ない娘が、何で自分から男を通わせるものか」
「阿漕だって、何も知らないと言っていますもの。ねえ、元通りに使ってもいいでしょう?」
三の君が言うと、北の方は、生みの娘には甘かった。不承不承ながら、
「じゃ、どうとでも勝手におし、だけど、大きな顔をして、私の前に出させるんじゃないよ。しばらく謹慎させてからだよ」
と言った。
2026/05/22
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