~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第三章 恋の罪人 (二十六)
北の方は、中納言に訴えていた。
「こんなことが起りゃしないかと、かねて心配していたんでございますが、案の定、おちくぼの君が、肩身の狭い恥ずかしいことをしでかしてくれました。他人の居候ならどうにでも出来ましょうが、あなたの娘でいられるのですから、世間にみっともなくて」
「あれがどうしたというのだ」
中納言は驚いて聞く。
「男が出来たんでございますよ、あなた」
「なに、男の許しもなく! いったい、何者だ、それは!」
「それがまあ、あろうことか、あなたばかりでなおいう、わが家の立派な婿どのの顔に泥を塗るような、身分卑しい下郎なのですわ・・・」
「誰だ、誰だ、それは」
中納言は、老人で、こらえ性がないから夢中で聞く。
「帯刀でございますよ、ほら、蔵人の少将の家来の、あの青二才です。あの者は、つい近ごろ迄阿漕を妻にしているとばかり思っていましたのに、そうではなくて、なんとおちくぼ本人に手をつけていたのですよ。恋文を、帯刀は愚か者ですから懐に入れて、蔵人の少将の前に落としてしまいました、少将がお見つけになって、はしっこい方ですから、この手紙は誰のかと責め問われたのです。帯刀も隠し切れず、こうこうと白状いたしました。蔵人の少将は、三の君に“まあすばらしい相婿をお迎えになったことだ、世間に知れたらどう噂されることか、肩身狭くて、大きな顔も出来はしない、どうか帯刀を、私と同じようにこの邸へ通わせて婿扱いなさらないでくれ”と皮肉をおっしゃったそうでございますよ」
「うーむ、何ということをしでかしてくれたのだ」
中納言は腹を立てて、力を入れて爪弾きをした。
「この邸に住んでいれば、みな、わしの子の一人とわかっているはずなのに、そんな身分低い男が、中納言家の姫に手を出した、と言うのか。帯刀め、六位といっても蔵人にさえなっていない、地下人じげびとではないか。吹けば飛ぶような青二才め。おちくぼもおちくぼだ。よくもそんな男に。相応な受領でも通って来ていたというのなら、知らぬ顔でくれてやろうと思ったのに、相手が帯刀では情のうて、あきれはてるわい」
「そこでございますよ。世間の噂になったら、ほかの姫や、婿君にきずがつきます。早いとこ、おちくぼの君をどこかの部屋に押し込めて見張らせましょう。おちくぼは帯刀を恋しがって、逢おうとするでしょうからね。時がたってからまた何とか処置なさいませ」
「それがよかろう。早速、閉じ込めて帯刀に会わせるな」
中納言は少々耄碌もうろくしているので、北の方に煽られると、一も二もなく叫んだ。
雑舎ぞうしゃ(下屋)の物置に押し込めておけ。そんな不心得な娘には物を食べさせることもいらぬ。折檻して殺してしまえ。わしは年とって、なお一家の主として気苦労が絶えぬのに、この上まだ、気苦労を増しおって、不幸者奴が”!」
北の方は待ってましたとばかり、着物の裾を高くまくって落窪の部屋へ行って、たちはだかまったまま、
「お前、夕べは誰といたの? 知らないとでも思うの? 親を笑い者にするにも程があるよ!」
姫君はただもう、びっくりしてわなわなと震えていた。
「情けないことをしてくれるのねえ、ごかの子供たちの面目丸つぶれだと、大殿もお怒りですよ。こちらに住まわせるな、物置に入れておけ、とおっしゃってるわ、さ、早くおいで!」
姫君は少将のことを叱られたのかと思って、恐ろしさに泣き出していた。
阿漕はあわてふためいて北の方にとりついた。
「お待ちくださいまし、大殿さまは何をお聞きになったのでございましょう、お姫さまに何の罪もございませんわ」
「ええ、差し出がまし。お前も要らざる出しゃばりだよ。大殿がお怒りになるようなことを、この人はしたに違いない。私にはおっしゃらないけれど、外から聞いて来られたのだよ。阿漕も阿漕だ。こんな腹黒い主人を大事にして、三の君の方はないがしろにするんだから、もう、この邸は置けない。どこへでも行くがいい、いいかえ。とっとと出てお行き」
北の方は阿漕を足蹴にせんばかりであった。
「さ、おちくぼ、来ないか。大殿がお言い聞かせになることがあるのよ」
北の方は姫君の衣の肩を引っ立てたので、姫君はよろめいて引きずられて行く。阿漕が泣きながら北の方の裾にすがると、北の方はじゃけんに振り払い、そのへんの道具を蹴散らし、姫君を突き飛ばして前に押し立て、罪人をひきずるようにするのであた。
姫君は、かつてこんなに手荒な暴力を加えられたことはないので、呆然として正気を失い、涙ばかりひっきりなしに流れる。紫苑色の綾の袿の、柔らかなのを着て、白い単衣をかさね、また、少将が優しい思いやりから脱いで置いていってくれた綾の単衣を下に着ている。髪は、この頃手入れも行き届いているのでつややかに黒く、居丈に五寸もあまり、長々と曳きつつ揺れている美しさ、まるで嵐に揉まれる花のように、苦し気にたわんで、北の方に引きずられて行くのであった。
2026/05/20
Next