~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第三章 恋の罪人 (二十三)
少納言は何も気付かず、
「お婿さまがまたお一人ふえますと、お姫さまはまたお仕事がふえますよ。よいご縁談があれば、早くご結婚なさいまし」
「どうしてわたしのようにみっともない女に、縁談などありましょう」
「とんでもございません。お姫さまがみっともない、なんて。北の方が大事にかしずいていらっしゃいますあちらの姫君たちは、失礼ですが、お姫さまにくらべると、まるで、月とすっぽん・・・」
と言いさして、さすがに少納言は話をやめ、
「縁談と申せば、お姫さまにぜひ、お聞かせ申し上げたいことがございますの。今の世の中で、有名な美男、ともてはやされている弁の少将、あの方は色好みといううわさで、世間では、“交野少将物語”という恋愛小説の、主人公になぞられて、交野の少将と呼んだりしていますが、その方のお傍に私の従妹がお仕えしていますの。先日そこへ遊びに行きましたら、弁の少将さまは、私を中納言家の女房と知って、愛想よくして下さいました。ほんとうにすばらしい男ぶりの殿方でしたわ。弁の少将さまは、“中納言家には姫君が多いとうけたまわるが”とくわしくお聞きになりますので、私、お一人ずつお話ししてお姫さまのことも申し上げました」
「なぜ、私のことまで・・・」
「でも、こちらのお邸の姫君のお一人に違いありませんもの。弁の少将さまはすっかりお姫さまに心を寄せ、“それこそ、私の理想の女性だ、お手紙を渡して取り次ぎを頼む”とおっしゃるのです。私が“姫君はほんとうの母君がいられないので後見する人もなく結婚などお心にかけていられないようですわ”と申しましたら、“母君がいられないからこそ、よけい男は、同情心をそそられ、かばいたくなるというものだ、私の理想は、蝶よ花よとかしずかれている権勢家の姫君ではない、日陰に咲く花のようなあわれな身の上の、しかも情け知らずでなく、美しい女、そういうのを唐や新羅しらぎまでも探し求めたいと思うのだ、ちょうど姫君はそれにぴったりじゃないか。私の最愛に妻として邸へ迎えとりたい”と、こまやかに、夜が更けるまで、しみじみお話しなさいました。そのあとも、お目にかかるたび、“話をしてくれたか、お手紙を書こうか”とおっしゃいますが、よい折がありませんのでそにうちに、、なんて申し上げておりますのよ」
姫君は、少納言のながながしい話に、返事もしなくなった。せっせと仕事をしている。
そこへ、少納言の部屋から、使いが来た。少納言は外へ出て、しばらく立話をしていたが、また入って来て、
「申し訳ございませんが、来客がありましてちょっと退がらせていただきます。お姫さまのお相手を一晩いたしましょう、と存じておりましたのに、急用ができまして」
「いいわよ、どうぞお退がり」
と姫君はうなずいた。
「さきほどのお話しのつづきはまだございますのよ・・・弁の少将さまがどんなに魅力的な殿方でいらっしゃいますか、ということやお姫さまに思いをかかていらっしゃる、やさしいお気持ちなど、そのうちくわしくお話ししますわ。── でも、私が途中で退がりましたこと、北の方のはおっしゃらないで下さいまし。北の方はきびしく私をお叱りなさるでしょうから。用事が早くすみましたら、また、おうかがいいたしますわ」
少納言はそう言って、そそくさと自分の部屋へ帰って行った。
少将は少納言が去ったのを知ると、几帳を押しのけて、出て来た。
「何ですか、あの女房は」
と、面白くない。
「はじめは、話もうまく美人で、いい女房がこの邸にもいるもんだ、と感心していたのだが、交野の少将の色男をほめあげるもんだから、あいつの顔を見るのも腹が立った」
「ホホホホ・・・何も少納言には罪はございませんわよ」
「少納言ばかりではありませんぞ。あなたは私がここに隠れていなかったならば、きっと弁の少将へ色よいお返事をなさったに違いない」
「まあ、そんなこと・・・」
「いいや、そうにきまっている」
少将は半分、本気で嫉妬している。
「あなたは、私の隠れている方を気がかりそうに、ちらちらご覧になって、いいつくろっていらしたが、かなり少納言の話に乗り気のご様子だった。弁の少将が手紙でもよこしてごらんなさい、私との間も、それこそ一巻の終わりだ。あの男は名だたる女たらしで、これと狙ってはずした女はないんですよ。一行の手紙でもやったら最後、必ず陥落させてしまう。人妻や、帝のお妃まで愛人にしているという色好みでしてね、だから有形無形に敵をつくって、出世出来ないでいる。そういう男が、最愛の女性と、あなたのことをいうのだから、さぞ、あなたは大事にされますよ」
少将の皮肉は、度がすぎるように姫君には思われ、黙ってしまう。姫君は少将が、ライバルの出現で、本気で嫉妬しているとは考えられないのであっる。どうして、、そんないやみを言われなければいけないのか、返事のしようもなかった。
「なぜ黙っていられる」
と少将はまだ、しつこく言う。
「あなたはせっかく、交野の少将に心を動かしておいでのところを、私が横槍を入れたので、気を悪くしていらっしゃるのですか。── 都中の女という女が、交野の少将の色男ぶりにまいっているんだからなあ。全くうらやましい限りですよ」
「わたくしは女の数にも入らないからでしょうか、なんの心も動きませんわ」
と姫君は小さな声で抗議した。
「そうですかね。彼はもともと、家柄もいい男だから、もし結婚なされば、あの“交野少将物語”の女主人公のように、あなたはいまに中宮にもなって出世なさいますよ」
「わたくし、その物語はまだ読んだことがありませんもの・・・」
姫君は黙って、縫物をしている。さすがに少将は姫君をいじめるのを、もうやめた。
姫君の小さな白い手が、すばしこく動いて布を扱うのを、かわいく思って見ている。所詮、少将は姫君を誰にも渡したくないので、つい、いじめてしまうのである。
2026/05/17
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