~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第三章 恋の罪人 (二十)
さて、北の方は下襲を持って落窪の間へ行き、
「さっきのは出来たの」
とずかずか部屋へ入った。
姫君は驚いて、几帳の外へ出た。北の方は、表袴の布地がそこにたたまれないまま置いてあるので、みるみる機嫌が悪くなった。
「まだ手も触れていないって、どういうこと、これは! もう出来上がったかしらと思ったのに、なぜ、私の言うことがきけないの、このごろどうかしてるんじゃないに」
北の方は、じろじろと姫君を見た。
「何だか、あなたはこのごろ、うわの空ね。いやにおしゃれに身をやつして、化粧ばかりするようになったではないか。まじめに縫物に精出すという気持がなくなったようにみえるわね。なぜそう、ふわふわしてるんです」
姫君は問い詰められて困り果て、上気してしまった。とっさに言葉も出ず、口ごもって、
{あの、さっきまで気分が悪うございましたので、しばらく臥せっておりましたの。表袴はただいますぐ、仕上げますから、しばらくお待ち下さいまし」
姫君が布を引き寄せようとすると、北の方は、
「まるで、暴れ馬にさわるみたいに、びくびくして、布にさわってるじゃない」
と痛烈にぴしりと言う。
「この邸に縫物をする人がいないから頼むのよ。安うけあいしてちっとも縫わないあなたでも、頼まなくちゃ仕方ないんですよ。── もしこの下襲をすぐ縫わないのなら、もう、この邸に置かないよ。とっとと出てお行き!」
北の方は、自分で自分の言葉に煽られたらしく、いよいよ腹を立てて、下襲の布地を姫君に投げつけた。
少将はかいま見てひそかに思う ──。
北の方のような女は、気性が烈しいだけに手抜かりなくソツなく、つまり、やりてである。敏腕なのである。そのかわり、グズグズして魯鈍ろどんなことを嫌う。そうして、すべて自分の思うように、ことが進捗しんちょくしないと、イライラして、かっとする。
だから、あんまり物ごとをてきぱきする女は、ヒステリーの気味があるから、男としてはありがたくない。少々、家事のとりさばきがのろまでも、のんびり、おっとりした方が男としては助かる。
欲をいえば、おっとりしているくせ、することはそつなく、かろやかにこなす女が最高なのだ。身びいきかも知れぬが、姫君はそんな女のような気がする ──。
少将がいい気持で、そんな事を考えていた報いなのかどうか、北の方は、足音も荒く部屋を出ようとし、ふと、少将が脱いだ直衣のうしが、几帳のうしろから出ているのをみつけた。
「おや、この直衣はどこのものだえ?」
阿漕はこの時、部屋へ来ていた。── 北の方が来たのを見て、姫君がどんなに狼狽していられるかと、あわてて走って来たのだった。
北の方が立ち止まって、不審そうに直衣を取り上げるのを見て、阿漕は胸がつぶれそうな思いをしながら、
「それは・・・あの、よその方が、縫って下さいとよこされましたので」
と言った。
「へええ、よその縫物を先にして、うちのは縫わないつもりか。あなたはこの邸の居候のくせに何を考えてるのかしらねえ。全く、人を馬鹿にしてるわ」
北の方は憎々しそうに捨てぜりふを言った去っていった。
少将は几帳の隙間から見ていて、(いやな女め)と思う。(ぶくぶく肥って、意地の悪そうな奴だ)
髪の毛が短く、抜けおちて少なくなっているのも少将には醜く思われた。北の方はたくさんの子供を産んだので、たぶん、そのせいなのだろう。
姫君は、夢中になって、布地に折目をつけていた。少将は姫君の裾をとらえて、
「止しなさい、ばかばかしい。・・・」
とむりにひっぱるので、姫君は困って、率直な人柄だから、迷いながらも、少将のいうままに、几帳の中へ入り、臥してしまう。
「何だい、あれは、縫わなくてもいいよ。うっちゃっておきなさい。北の方をもっと、なごまごさせてやればいい。あの言い方は何だ。無礼じゃないか。この年頃、いつもあんな、ものの言い方をしていたのですか。私なら、とても辛抱出来ない所ですよ」
「だって、北の方のいいつけに逆らったらどこへも行く所のないわたくしですもの」
と、姫君は言、阿漕を呼んで格子を閉めさせた。もう、夕暮れになっていたのである。
2026/05/15
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