阿漕は例によって、少将と姫君の食事の支度に奔走していたが、彼女の心配は別にあった。
北の方が、うんと縫物を、姫君に持ち込んで来るのではないかという心配である。
折わるく ── と言ったら、北の方や、三の君や、蔵人の少将に悪いのだけれど、急に、蔵人の少将が賀茂の臨時祭の舞人に指名されたのである。十一月の下の酉の日の祭である。舞人は大切な役目なので、北の方は、その準備にあわてふためいていた。
こういうことの支度も¥、妻の里が引き受けるのであった。
(きっと、縫物がどっさり来るわ)
と阿漕が予想していた通り、北の方は礼服の
表袴
を裁って使いに持たせてよこした。
「これをすぐお縫い下さいとのことです。まだこのほかに次、縫うものがあります、と北の方は仰せられています」
阿漕は、几帳の蔭に寝ていられる姫君の代わりに答えた。
「どうなさったのか、お姫さまは昨夜からご病気なの。まだおやすみ遊ばしていらっしゃいますので、お起きになりました、そう申し上げますわね」
使いの女童のあこ君が帰っていくと、姫君は起き上がった。次々と縫物があるという言葉に気がせかれるからである。少将は姫を引きとめ、
「お止しなさいよ。私一人で、ぽつねんと寝ていて、どうしようというのです。そんなもの、
抛
ほう
っておきなさい」
「でも・・・」
「北の方が怒鳴り込んで来たら、その時のことだ。どうせ、あなたはこの邸を出て行く人なんだから・・・」
などと、うしろから羽交い絞めして、姫君の髪に顔を埋め、四肢をからめて、動かさない。姫君は困ってしまう。
北の方は、てんてこまいの忙しさで、あれこれと指図してた。急なことだったので、期日までに衣裳やその他の準備をするのは大変であった。
あこ君が帰って来たので、
「どうだえ。もう縫いかけていたかえ、落窪は」
と、せかせかして口早に聞いた。
「いいえ、ご病気だそうで、まだおやすみ遊ばしていらっしゃる、と阿漕さんが申しましたよ」
「何だって、お前、いま何て言った? フン、“おやすみ遊ばしていらっしゃる”とは何といういい方なの!」
「ハイ・・・あの」
「言葉遣いに気をおつけ。私たちにいうのと同じように、落窪にいうことがありますか。あんなのは、“寝ている”でいいのだよ。この昼日中に、子供じゃあるまいし、あつかましい昼寝とは! 身のほど知らずにも程があるわ」
北の方はっせら笑った。
北の方は、今度は下襲したがさねを裁って、自身で持って行った。
── ついでにいうと、下襲は、男子の正式礼装、束帯そくたいの一部分であ。上着である袍ほうの下に着る。前身は短いが背の部分が長い。それを裾きょとも、尻ともいう。ゆったりした衣に、長々と曳く下襲の裾。あざやかに前に結び垂れた平緒。優美な太刀を帯び、笏しゃくを手に、垂纓冠すいえいかんをかぶった王朝貴族の姿は、男らしくて立派であり、いかめしくも優美であ。長々とうしろに曳く下襲の裾は、歩くとき人に持たせたり、石帯せきたいにはさんだりするのだった。
これが武官であると、顔の両側をはさむ緌おいかけのついた巻纓冠けんえいかんをかぶる。文官なら、うしろへ垂れている纓が、きりりと上へ巻き上がっているものである。そうして太刀を帯び、矢を負い、弓を持つ ── これも、りりしくて美しく、こういう格好をすればどんな男も、さぞ見映えがしたことであろう。全く、王朝の服装というのは衣裳美学最高峰と言ってもよい。
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