夕暮れてきたので、中納言邸へそろそろ出かけようかと、帯刀の来るのを待っていたが、帯刀は来ないで、そのお袋の乳母が来た。
「また、お出かけでございますか。この頃そわそわと、いつも夜は外泊ばかり、昨夜も北の方さまがお探しでいらっしゃいましたよ」
北の方は、この邸では、むろん、少将の母君のことである。
「昨夜は内裏で公務外泊だったじゃないか」
「さようでございましょうかねえ。平生のご信用がございませんから」
乳母は、客人を伴って来たのである。
「源の中納言さまの末娘、四の君の乳母に当たる方なのですよ、実は、四の君と若さまの御縁組を申し出ていらしたのでえす。願ってもないご縁だと存じましてねえ。── どうぞ、あなたから詳しいお話を」
乳母は、几帳のかげに畏まっている、中納言家の乳母に、声をかけた。
「遅くなりました。ここへ遅く着くと、夜が短くなるので、それが辛い」
と少将は、中納言邸へ忍んで行って姫君に会うなり、そう言って抱きしめた。
「私は早々と支度していたのに、帯刀の奴、なかなか、来ないのですよ、叱ってやったら、何だかぶつぶつ言って恐縮していましてね・・・それはそうと、お返事は、なぜ下さらなかった。内裏で宿直しつつ、考えるのはあなたのことばかりでした」
姫君は、帯刀が返事を落としたとは言えなくて、
「ちょうど、北の方が、部屋へいらして、書くひまがありませんでしたの」
と言った。
その夜は、ふたりとも、しめやかに、なやましい気分だったので、どちらもこうとしめし合わせたわけではないのに、思いがけず、烈しく燃えた。姫君は、落とした手紙がもし北の方の手に渡ったら、堰かれてもう二度と少将に会えないのではないかという悩みがあり、しかもそれを少将に打ち明けられなかった。
少将の方は、四の君であろうが、どんな権門要路の家の姫君であろうが、何があっても、この姫君とは別れないと、決心を新たにしたので、よけい姫君がいとしかった。
少将は姫君に心配させたくなかったので、縁談については何も触れず、ただ、熱烈に、愛の近いばかりを繰り返していた。
はやくも夜が明けた。
少将が後ろ髪ひかれる思いでつい、ぐずぐずしている間に、明るくなりすぎて、出て行く機会を失った。
少将は几帳のうちの臥床に、これ幸いとひっそり閉じ籠って、何やかやと、姫君にささやいていたが、やはり、四の君との縁談のことを姫君に言っておかなければ、と思った。
もしほかの人の口から聞いたりしたら、姫君は気を悪くするだろうという、男のやさしい思いやりからであった。
「驚いてはいけませんよ。四の君の乳母が、私に邸へ来ましてね。このお邸では四の君と私を結婚させたがっていられるらしい。とくに北の方は強くお望みらしいね」
「まあ・・・」
「私は、この際、あなたのことを、公表するつもりでしる。すでに、私は、もう一人の姫君と結婚している、と。いいね? あなたもそのつもりでいておくれ」
すると姫君は、途方に暮れたように、
「でも、そんなことになると、わたくしはよけい、虐められますわ」
と悲し気な顔になった。
そのさまがうぶらしく、子供っぽいので少将は愛らしくてならない。
「もういっそ、あなたをこの邸から、さらっていこう。私が気がねしつつ、ここへ通うことは出来ない。来てくれますね?」
「ええ・・・。どこへでもまいりますわ、あなたとなら」
「やっと、その決心がついたの?」
少将は姫君の黒髪を手に巻いて抱きしめた。
|