~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第三章 恋の罪人 (十六)
「珍しいじゃないか、資親・どうした風の吹き回しだ?」
少将は、彼も少しは外の風に当たりたくなったかと、喜んだが、少輔は浮かぬ顔である。
「今日は話があるんです。まじめに聞いてくれませんか?」
「いいよ、何だね?」
「笑わないと約束してほしいんです」
「約束するよ、私が君をなぜ笑うんだ?」
「「しかし、世間の人は、私の顔さえ見れば忍び笑いをするから・・・」
「私が、そんな失敬なことをするかね ── 何の話だ、聞こうじゃないか」
「実は」
と少輔はうつむいたが、思い切ったように顔を上げると、小鼻をふくらませた。
「恋をしているんです・・・・」
少将は真剣な少輔には悪いが、思わず吹き出してしまった。目をみはり、小鼻をぴくつかせ、真剣になればなるほど、いななく馬にそっくりの少輔が、「恋をしている」などというのを聞くと、まりに唐突な取り合わせで、おかしかったのである。
「そら、あなたも笑った」
少輔は唇を噛んだ。
「私が恋をするのがおかしいですか? 身のほど知らずですか?」
「すまない。思いがけなかったからだよ」
少将は笑いをおさめた。
「それにしても、よかったね、君も、いつまでも独り身ではいられないんだし、そりゃいいことだ、で、相手の反応はどうだね?」
「・・・・」
少輔はしおれて首を振った。
「私の恋を踏み潰そうとしているのは、道頼さん、あなたですよ」
「私が、なんで?」
少将は思いがけなく、驚くばかりである。
「くわしくはなしてみないか、真剣に聞くよ、もう、決して笑わないから」
「はじめて、あの人を見たのは、去年の賀茂祭でした。あのひとの・・・」
と兵部の少輔・資親は、うっとりと言った。
「牛車の下簾が、何かにひっかかって持ち上がりましてね。── きれいな若々しい女が一瞬ちら、と見えたんです。私は、気が止まるような気がしました。天女みたいな美しい人でしたから。・・・その顔が瞼に焼きついて離れません。私は一行のあとをけて、家を見届けました。もう一度その人を見たいものと、思いつづけていたのですが、機会がありません。ところが、この間、石山詣でに行ったら、偶然、その家の人々が来ていて、私は天にも登る心境でした。御堂の中のおこもりのおこもりの場所へ近づいて、また、あの人を見ることが出来たんです。全く、仏のお導きとしか思えなかった。・・・かわいくて美しくて何ともいえない人でした・・・ああいう人と結婚したいのです」
「ちょっと待った。結婚はいいが、人のものだったりするとまずいぞ。いったい、身もとはわかっているのかね」
「わかっています」
少輔は、悲しげな眼を、きらきらさせて、
「源の中納言の姫君んんです」
少将が耳をそばだてたのはいうまでもない。
「どの姫君だ? あそこの姫は婿取をしているぞ」
「大丈夫です。まだ未婚の末姫、四の君です。調べたから、まちがいないのです」
「四の君は、そんなに美しいのかね?」
思わず、少将は男の好奇心をむき出しにして聞く。
「かぐや姫のようです・・・ああ、こうやっていても、ありありと、あの美しさは思い出せます。満月のような清らかな顔立ちでした」
資親はこれを、スラスラと言ったのではない。ぽつりぽつりと、やっとのことでしゃべったのである。そうして、ほうっと、深いため息をついたので、少将は、同情をそそられた。
「そこまで思い込んでいるのなら、当たって砕けてみればいいじゃないか。適当なつてを求めて、それとなく恋文を送って、小当りにあたってみるがいいよ」
「やってみたんです、でも断わられました」
「恋文を送ったのかね?」
少将は、この朴念仁ぼくねんじんがどんな恋文を書いたのかと思うと、おかしくもある。
「いいえ、私は歌も文章も、まるでだめです。だから、その橋渡しを、父に頼みました。父も喜んで、それはいいことだと、さっそく、手紙を書いて、うちの侍に持たせて、中納言家へやってくれました」
「なんて書いたのだね?」
少将は、息子に輪をかけたような変人の叔父貴が、何と手紙をしたためたのか、悪いが興味があった。
2026/05/08
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