~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第三章 恋の罪人 (十五)
「お姫さま、申し訳ないことがおきました。面目次第もないことでございますが、もう一度お手紙を書いて頂くわけにはまいりませんかしら」
阿漕の言うのを姫君は訊いて、姫君も肝が潰れるように思った。
「北の方もご覧になったのでしょうね。ああ、どうしよう・・・」
と姫君は両手をじって身を揉んでいた。
「お手紙なんか、もう書けないわ、それどころじゃないわ。ああ、どうしたら・・・」
姫君の混乱を、阿漕も面目なくて見ていられない。
帯刀の方も、恥ずかしくて、少将の前へ出られなかった。
少将もその頃、自邸で、思いがけぬ話を聞かされていた。
珍しい客がやって来たのである。
叔父の治部卿じぶきょうの長男で、少将には従弟いとこにあたる兵部ひょうぶ少輔しょうであった。
この青年は、右近の少将と従弟といっても容貌も気質も似ていない。てっとり早くいうと、愚直なほど、融通の利かぬ堅人なのである。いったいが、父親の治部卿も偏屈者という評判の人で、世を拗ねて、人と交わることをしなかった。それで、治部卿などという、出世コースからはずれた閑職にあって、人に忘れられたように生きていた。
しの息子の兵部の少輔も、人気のある公達きんだちとは言いかねた。頭は悪くないのだが、からきし社交下手で、人前ではまともに口も利けず、愛想が悪く、お上手が言えない。気の利いたことが言えず、文学的才能はさっぱりなく、風流な趣味もない。
文雅の才を、最大の能力とみとめた王朝の貴族社会で、こんな青年がもてはやされるわけがなかった。
まして、美貌を、こよないものとでたこの時代に生まれ合わせたことは、兵部の少輔の、大きな不幸であった。彼は体つきはすらりと痩せて見ばがようので、後姿を眺められている分には無難だが、正面を向くと、人はぷっと吹き出すのである。
たぐいもない馬面うまづらで、鼻も長く、鼻の穴が大きく、正面から見えて、今にも、「ひひん」と、いななきそうな顔なのだった。世間では彼のことを「面白の駒」などと呼んでわらっている。
── 少輔の眼は悲し気に澄んで、彼が心の底には純情なものを湛え、まじめな人柄であることを示している。しかし、この当時の人々は、外貌の美ばかりをもてはやすならわしであったから、この醜い青年を嗤いこそすれ、その心の底まで下りて、気立ての良さを発見してやることはなかっ。
ところで、右近の少将は、この従弟の青年を、思いついた時には社交界へ引っ張り出してやろうとしていた。少将は、従弟の気の良さを知っていたし、無能ではあるが、またまじめ一点張りなのを、官吏の一面の美徳であると買っていたからだった。
兵部の少輔の父の治部卿は、自分は世の拗ね者で終るだろうが、息子は人なみに世間づきあいをさせたいと願っていた。それで、少将に、
資親もとちかを頼むよ。この頃は、ますます人ぎたいがこうじて、家にばかり引き籠っていてね、外へ出ると、人が笑うというのだ。なにふとしきり笑われたら、あとは人が慣れて笑わなくなるものだがね。若い者はその間の辛抱が出来ないらしい」
資親というのは、少輔の名である。少将は叔父の言葉がおかしかったが、従弟の気鬱きうつを払ってやろうと、いつも自分の邸へ遊びに来るように誘っていた。
誘っても、少輔がなかなか来ないのは、少将の邸の女房たちが、少輔の顔を見ると笑いをこらえるのに苦労するからである。愚直であっても、それゆえに、自分の傷つきやすい心に鋭敏な少輔は、ますます委縮して、よその家を訪れようとしないのだった。
その少輔が、少将の留守に来て、帰邸を待っていた。
2026/05/08
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