~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第三章 恋の罪人 (十)
動きが取れなくて、とうとう少将は昼間で姫君の部屋に隠れている。
(とんだ 密夫 みそかお というところだ。いよいよおれも、色男の役まわりだなあ)
などと少将はのんびりと臥して、姫君を抱いて離さないから、姫君は困じはてていた。
と、めったにやって来たことのない北の方が、ひとりで、姫君の部屋へあらわれた。
「おや、どうして、ここの障子をしめているの? お開け。どうしたのです!」
部屋の中にいた三人 ── 少将、姫君、阿漕はそれぞれ、驚いた。
「何をしているの、え!」
と北の方は叫んだ。中の三人は顔を見合わせ、姫君などはもう、おびえて気を失いそうなさまである。
「開けなさい、かまわぬ」
と少将はおちついて言った。
「もし、几帳を引き上げて覗かれたら、私は衣を頭から被って隠れているよ」
と微笑さえ浮かべている。
「お覗きになるわ、きっと」
姫君は困り切っていた。
「それなら、あなたは少し、几帳のそばへ寄っていればいい。見つかったらその時はその時で何とかなるさ。怖がりなさるな。びくびくすると、かえって怪しまれるからね」
少将はむしろこのスリルを楽しんでさえいるようだった。
その間も、北の方は、懸金をおろした障子を手荒くゆすぶっている。そうして阿漕は時を稼ごうとして、内側から北の方と対応していた。
「お姫さまは、今日、明日とおん 物忌 ものいみ でいらっしゃいまして・・・」
物忌というのは、方違えと同じく陰陽道のならわしである。戯れに触れたり、凶い前兆があったりした時、人は一間に籠って身をつつしんでいる。人にも会わず手紙もやりとりしないのが、物忌の習いである。
「なんだって? 物忌なんて聞いて呆れますよ」
北の方は憎らしそうにす叫び、
「自分の家でもない居候が、物忌なんて一人前の口をお利きでないよ。早く、ここをお開け、なまいきな!」
姫君は阿漕に、
「早くお開けしなさい」
とせかした。姫君は少将の耳に、北の方の痛烈な罵声を聞かせるのは堪えられなかったのである。自分の、この邸における扱われ方を知られるのも切なかったが、北の方の性格が、無残に少将に暴露されるのも辛い気がされる。
「勝手に物忌なんて構えて、女あるじの許しも受けず、錠をさしてるなんて、以後は二度としてはなりません」
北の方は荒々しく障子を開けて入って来るなり、そう言った。
そうして、突っ立ったまま、
「おや?」
と目を見張って見回した。
部屋は美しく整頓され、見なれぬ立派な調度がそろい、姫君は、見たこともない美しい衣裳に包まれ、化粧して几帳のかげにいる。
「どうしたの。まるきり様子がおかしいよ。何かあったの? もしかして、私の留守中に、変わったことでもあったのじゃない? 香まで焚いて、へんじゃないか」
さすがに女の感である。北の方は、部屋にただよう薫香に、文字通り鼻をぴくぴくさせた。姫君は、消え入りたい表情で、顔を赤らめた。姫君は、嘘がつけないのであるが、
「いいえ、何もございませんわ」
と、かろうじて言う。
少将は北の方が見たくなって、几帳の下をそっと引き開けて、横になったまま覗くと、白い綾赤の練絹のきぬなど、そう上等というものでもないが重ねて着ている。平たい顔の人で、いま膝をついて坐ったところだった。
美人というほどでもないが、少将の思っていたよりは、まだみじみずしさも、綺麗なところも残っている。ただ表情全体に、傲慢な気の強い所があり、中年女の意地悪さといったものが、眉や、唇のはしに留められていた。
「べつに変わったことはないのね。ちゃんと留守番をしていてくれたのね」
と北の方は念を押して、
「実はねえ、ここへ来たわけは、旅先でいい鏡を買ったのだけれど、これにあう鏡箱のいのを、あなたが持っておいでだったのを思い出してね。しばらく箱を貸して下さい」
北の方は手にした鏡を、撫でていた。
この頃の鏡は丸い銅をみがいたものだる。鏡の背面には、突起があって、これに組み緒おつけて鏡台にかけるのである。
「はい、どうぞお持ちくださいまし」
と姫君は即座に言った。姫君は、少将のことが気が気で、早く北の方に去ってもらいたい一心である。尤も、だいたいが物惜しみのない人であるが、北の方は、
「そうかえ? あなたはそこがいい所ね、気安く貸してくれるから助かるわ。それでは」
と、姫君の鏡箱をとりよせて、中の鏡を出し、自分の鏡を入れてみた。鏡台にかけないとき、鏡は鏡箱にしまっておくのである。
「あら、ぴったりだ。あつらえたように入ったわ。ちょうどいい大きさの鏡を買ってよかったこと。それにしても、この鏡箱はいい品物ね。この箱の蒔絵みたいにすばらしいのは、今どきないわね。やっぱり古い物は上等だわ」
と北の方は喜んで鏡箱を撫でまわしていた。
阿漕は、憎らしくて、黙っていることが出来ず、口をはさむ。
「あの、こちらさまのお鏡の箱はどういたしましょう。箱がなくては、お困りにないますわ」
「それは別のをすぐまた持たせるわ」
と北の方は、満足そうに鏡箱を抱いて立ちあがった。

そうして部屋を見回してあらためて不審の念を持ったらしい。
「この几帳はどこから持って来たの。いい几帳じゃないの。いつものような品が揃っていますね。どういうことなの、これは」
姫君は胸がどきどきして、返事も出来ず、赤くなったり、蒼くなったり、している。
そこへくると阿漕は肝っ玉のすわったところのある女なので、そ知らぬ風をして、
「いくら何でも、几帳がなくては、あまりにみっともなくてお気の毒でございますから、私の身内からちょと借りているんでございます」
北の方はなおも疑わし気にじろじろと見回していた。
2026/05/04
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