姫君の邸のそばまで来て、門の所でいつものように帯刀は、小声で門番を呼んだ。
「おい、爺さん。おれだ、帯刀だ、あけておくれ」
門番の老人と帯刀はすでに顔見知りであるので、そう言えば開けてくれるはずになっているのだが、門番は、門の内から返事もしない。
(寝入っているのかな? こんな雨の夜ふけ、誰も来るはずはないと思って、酒でも飲んで寝ているのか?)
と疑ったが、帯刀は門を叩き続けた。
実は、門番の代わりをしていたのは、犬丸だったのである。お邸の人々が留守の間は、どうせ帯刀のやつ、毎晩でも来るに違いない、と、爺さんの役目を代わってやっていたのだった。爺さんは喜んで、宵の口から酒を飲んで、下屋の暖かな日のそばで、ぐっすり眠り込んでいた。
犬丸は、帯刀の声を聞いて、刀を取り上げた。
帯刀は強そうなので、とても斬り殺すことは出来そうにないが、怨みの一太刀ぐらいは浴びせなければ、気がおさまらない。
門を開けて、自分は物かげの闇にまぎれる。
「おそかったじゃないか、爺さん。眠っていたのかい。これを見てくれ、ずぶぬれなんだ」
帯刀は文句を言った。門を開けたのは爺さんだと信じ込んでいる。
犬丸はものも言わず、帯刀に斬りつけた。
「や、何をする」
ととっさに帯刀を庇って、刀を抜いたのは、うしろにいた少将である。
少将は犬丸の刀を受け止めながら、
「ぬかるな、惟成、曲者くせものだ!」
と叫んだ。
「人違いするな、何奴だ」
と帯刀が刀を抜いて曲者と渡り合った。男は一語も発せず、斬りかかって来る。へたな刀使いだが、真剣な気魄だから侮り難い。ふと、帯刀は、
(犬丸じゃないか?)
と気付いた。先夜の意趣返しに襲ってきたものとみえる。
帯刀は勢いするどく斬り立てた。
「殺すなよ、惟成! あとが面倒だ、無益の殺生はするなよ」
と少将は声をかけ、二人で曲者を塀の蔭に追いつめていく、帯刀は面倒臭くなって、ケリをつけてやろうと、刀を振りかざし、
「やあっ!」
と大喝すると、曲者はへなへなと腰くだけになり、やにわに身を翻ひるがえして逃げて行った。
「追うな」
少将は帯刀の袖を引いた。
「しかし、何奴だろう? 邸の内へ隠れたら物騒ではないか、物盗ではあるまいか」
「いや、少々心当たりがございます。なに、どうせこの邸の内の者、泥棒物盗りのたぐいではありません。少し私に遺恨を含む奴です」
「知りびとか?」
「有り難くない知人で」
「驚かせる奴だ」
と少将は刀をおさめた。
「ま、これも、あおで考えるとよい記念でございますよ。三日夜の思い出になりましょう」
「お前をまた、狙うようなことはないのか」
「脅かしてやったから、大丈夫でございましょう。なに、明るい所であんなことの出来ぬ奴ですから」
二人は阿漕の部屋へ行った。阿漕はいなくて、露だけがうたたねをしている。起して、
「水を持って来い、湯を沸かせ」
と大さわぎになった。
少将の足を洗い、帯刀も洗う。着る物の汚れをつまみ洗いしているうち、上から下まで濡れねずみなので、もうすっかり脱いでしまう。
少将は、火鉢の火に着物をあぶりながら、帯刀に言った。
「明朝はとくに早く起きろ。まだ暗いうちに帰ろう。ここにとどまっているわけにもいかないし、この格好では明るくなって外を歩くことも出来はしない」
「わかりました」
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