そんな事とも知らね阿漕は、せっかくの努力も空しくなったと思って、がっかりしていた。
「実際、憎らしい雨でございますわねえ」
と姫君の所へ来て、愚痴をこぼさずにはいられない。姫君は、
「どうしてそんなことを言うの」
と言いながらも、頬を染めていた。
「だってそうじゃございませんか、降るなら、適当な程度に降ればよろしいのに、折悪しく、どしゃぶりになるなんて」
「でも・・・ひょっとしたら、雨が降らなくても、おいでがなかったかも知れないわ」
と姫君は思わず言い、阿漕がどう思うかと恥ずかしくなって、物に寄り臥して、袖に顔を埋めた。
いまは姫君も、知らず知らず少将を待ち受けている自分に気付いたのであった。
少将が、自分をどう思っているのか、ほんとうに通い続けてくれるのかどうかに、切実な関心を持つようになっていた。その変化を、阿漕に知られることは、姫君には恥ずかしかった。
少将はその頃、白い
袿
一かさねを着こみ、
輿
こし
かつぎのように、帯刀と前後に連れ立って邸を出ていた。
大傘をさしかけ、門をひそかに開け、ひっそりとお忍びで出たのである。
真っ暗闇である。
ひどいぬかるみ道を難渋しながらよろめき歩いているうち、行列にぶつかった。先払いを立てて、たくさんの
松明
たいまつ
をともさせ、やって来る。それへ、うっかり、小路を横切った拍子に、辻のところでぶつかってしまったのである。ひどく、狭い道だから、歩いて隠れることも出来ない。
片側に身を寄せ、大傘に顔を隠して行き過ぎようとすると、
雑色
ぞうしき
(小者)たちが、
「待て、何奴だ」
と呼ばわった。
(衛門督えもんのかみの一行だな)
と少将は思った。宮門の警備をつかさどる警察、衛門府の長官である。されば、雑色たちが怪しんで誰何すいかするのも、無理はない。
「止れ、この雨の真夜中に、男二人連れ立って行くとは怪しい。盗人ではないか、捕らえろ!」
怪しい者ではございません、主人のご用で者でございます」
帯刀が少将を後へかばいながら急いで言った。
「盗人ではないというのか」
雑色たちは松明の日をかかげ、
「おい。もっと顔を見せろ、怪しくない者がなぜ傘で顔を隠す」
と大傘をはたき落とそうとする。少将と帯刀は、そうはさせじと必死に傘にしがみついていた。
「こいつめ、足が真っ白だぞ。盗人ではないらしいな」
雑色たちは無遠慮に松明を突き付けて、口々に言う。少将も帯刀も、袴の裾を絞ってたくしあげ、膝から下は素足だった。
「いや、わからんぞ、小盗人というのは、足が白いからなあ」
「何を盗みに行くのか、こんな足のなまっちろい奴こもに、大きな悪事が出来るものか。色男、金と力はなかりけりという奴だ。おおかた、女を盗みに行くんだろう」
と、雑色たちはどと笑う。
そのまま釈放してくれるかと思えば、その中の意地の悪い奴がさらに、
「おい、無礼だぞ、突っ立っている奴があるか、土下座しろ!」
と通り過ぎざま、突き飛ばした。あなやと思い間もなく、少将と帯刀は、大傘ごと、道に尻餅をついてしまった。
ぺっちゃっと、やわらかい付けたいものの上に倒れたが、とたんに鋭い臭気が立ちのぼり、どうやら、牛の糞の上に腰を下したらしい。
雑色たちは松明を突きつけ、火の粉で頬をあぶるばかりにして、
「や、指貫さしぬきをはいてやがる」
「下っ端小役人が、女のもとへでも出かけるんだろう」
などと笑いののしって、行列は通り過ぎて行った。
「畜生め。── お怪我はございませんでしたか。腹の立つ野郎どのでしたな」
帯刀はいまいましそうに、少将を扶たすけ起こした。少将は我ながら、おかしくなってくる。
「やれやれ、これでは恋の風流も色気も、だいなしだ。えらい目にあったな」
「いや、しつらが捕らえろ、と言った時は、正直ギョッとしましたよ」
「しかし、私のことを“足がなまっちろいから盗人ではあるまい、女を盗みに行くのだろう”と言ったのは傑作だったじゃないか」
「ハハハハ、商売柄、やはり見ている所は見ているんでございますな」
「それはいいが、今夜はどうせ、だめだよ、帰ろう」
「なぜでございます」
「糞の上に倒れたものだから、臭いよ。これでは、かえって姫君から嫌われてしまう」
少将は気持ち悪いやらおかしいやら、
「色男もかたなしだぜ」
と帯刀と二人で笑いが止まらない。
「いやいや、そうではございません」
帯刀はまだ笑いながら、
「こんな大雨の夜に、しかも、これほどのご苦労をして来られたということで、よけい姫君は感動なさいます。そのお姿をご覧になれば、いたわしくも勿体なくも思われて、さぞ嬉し泣きなさいますよ。臭いにおいも、姫君には麝香じゃこう
の香ようにお思いになりましょう」
「よくいうぜ、惟成これなり」
「いずれにしましても、この雨、今更引っ返すのは大変でございます。お邸はもう遠くなりました。行先はすぐそこです。やっぱり、姫君のところへいらっしゃいませ」
「そうだな」
と少将も考えた。
せっかく、こうまで難義して出かけて来たものを、ムダ骨折りにしてしまうのは残念だった。
「では行くとするか」
「そうなさいまし」
と帯刀は勇み立った。
しかし主従の難義は、まだ終らなんだのである。 |