少将がゆっくりと構えて、とどまっているので、姫君ははずかしく思っていた。
このころの恋人は、夜も明けぬ暗いうちに、かわたれどきの闇に紛れて出てゆくものであるのに・・・。そうして、そういう暗さの中にこそ、花嫁の羞恥もまぎれ隠されてたすかるのであるが、少将は、離れるときを少しでも先へのばそうとするかのように、、姫君を抱きしめて、解放してくれない。
その恥ずかしさに加え、姫君を居たたまれない思いにさせるのは、少将に食事も出せないことだった。
配慮してくれる身内も、有力な庇護者もいないことは、少将はよく知っているだろうと思うものの、── やっぱり、それは辛いことだった。
そこへ阿漕が来た。
「
御格子
は上げないほうがよろしゅうございましょうね・・・」
と、ひとりごとめいてつぶやいている。
それは「上げましょうか」ということである。
明るい所で、姫君をごらんになりませんか、とも、(この間と違って、今日は部屋のしつらいも美しくしておりますのよ)とも、聞かれるような、言外のニュアンスが感じられる。少将は敏感で、頭の回転の早い男なので、すぐわかった。
「暗いから、格子を上げよ、と姫君がおっしゃっているぞ」
姫君にかこつけて、笑いながら言った。
格子は、室内と簀子縁との間にあり、上下二つに区切られていて、上の格子を外側へ吊り上げるようになっている。
阿漕は踏み台を持って来て、格子を上げた。
少将は衣服をととのえて起きて来た。
「車は待っているか」
と阿漕に聞く。
「はい、御門でお待ちしておりますが、御手水をまず、お召下さいませ」
阿漕は洗面具を運んだ。
そうして、露が、戸の外に置く食膳を、高く捧げ持って、部屋の中に据える。
少将も姫君も、これには驚いた。少将は(不如意と聞いていたのに、よく、ととのえるではないか)といぶかしみ、姫君の方は、(どうやって、こんなに用意が出来たのかしら)とただただ、びっくるするばかりであった。
阿漕はすますてかたわらに控え、いそいそと世話をしたり、給仕をしたりする。あたかも日頃ずっとこうやって世話しているかのごとく、ものなれたさまを見せる。
少将と姫君は、食事をした。
雨が小やみになったので、人少ないのを幸い、邸を出たが、こんなに日がたってからわ、ふだんの、人目のある時では出られなかったであろう。
少将は姫君を見返ったが、柱のかげにかくれながら、姫君が見送っているので、いとしく思わずにはいられない。愛らしい姿だった。
その日は、新婚三日めである。
新郎新婦が、三日夜の餅をたべる日である。
阿漕は、またも叔母に無心の手紙を書くことにした。たべもののあまり物を水仕女から貰うのはともかく、餅を調達するのは、大ごとである。
「さっそくにおやさしいお心づくしを頂き、結構なお品を頂戴いたしましてありがとう存じました。お客さまも喜んでいられました。
またまた、お言葉に甘えて唐突なことをお願いします。
実は、餅が要るのです。ご不審にお思いになりましょうが、ちょっとしたわけがございまして、急に入用になりました。
餅に取り合わせて、お菓子もございましたら、少し下さいませ。
お客さまはちょっとの間の御滞在かと思いましたら、四十五日の方違えでございました。
それで、前にお借りしました品物など、いまもう少しお貸し下さいませ。盥や半挿などのきれいなものがありましたら、それもしばらくお貸し下さいませ。いろいろ、あつかましく申し上げて恥ずかしいのですけれど、頼りにしていりますままに、叔母さまよりほかに、おすがりする方はないのですもの」
と書いて叔母に使いを出した。
そんなことをいているうちに、少将から姫君へ手紙が送られて来る。これがほんとうの意味での、後朝の文である。
「離れ住むことの苦しさを、生まれて初めて知った気がします。
あなたの鏡にうつる影のように、私は、あなたの影になりたい。いつでもどこででも、離れずにいられるように。あなたは私の分身というより、今や、私があなたの分身なのです」
姫君は、今日はさすがに、返事を書くのであった。
「鏡にうつる影と、あなたはご自分のことをおっしゃいますけれど、鏡は、どんな人の姿をううすのでございます。いつかは、あなたのお心の鏡に、よその女人のお姿がうつるかも知れませんわね。
鏡は、はかなく、悲しいもので。ございます。愛のたとえになさるのは不吉ですわ。おかげで、わたくしは、恋と同時に、嫉妬まで、生まれて初めて学びました」
美しい筆跡で、さりげない走り書き、少将は、もう有頂天になってしまった。
(何という正直な姫だ、気取りもてらいもない人だ。その人が、私を愛しているという、恋と嫉妬をもろともに知った、と告白している!)
少将は物狂おしく手紙に接吻して、そわそわと立ったり坐ったりする。そうしてまた手紙を読み、顔に押し当てて移り香をたのしみ、熱のこもった接吻をくりかえす。
恋と嫉妬と知った、ということは、少将を独占したいという告白にほかならぬではないか。それこそ、少将が姫君に感じている情熱だったのである。
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