阿漕も、帯刀と自分の部屋で楽しいときをすごしていた。
「いやもう、ひどいものだ、ゆうべと今夜とでは、こうもちがうものかねえ、待遇が」
帯刀は阿漕をからかう。
「ゆうべは何だ? 何をいったい? 薄情者、ろくでなし、ダマしたの、卑劣の、おまあ、さんざん悪態をついて、あばれまわってえらい目にあわされちゃった。それが打って変わって、少将さまをいそいそお迎えして、男前だとか、実があるとか、今度はやたら、少将をほめそやすのだから、どうなったるの これ」
「いやあねえ・・・」
阿漕は照れて、笑う。
「だって、ゆうべは思いがけない出かたをするからよ。女だって、だしぬけなことをされると気にくわないもんなの」
女というものは、自分の立てた計画の上を走れかし、と思っている。
もくろみから逸脱するようなことをされると、(こん畜生、何の権利があって、そうワガママをする)と腹が立つわけである。
男が気ずい気ままにふるまうのが許せないのである。
ちゃーんとよくしつけて、エサを前に置き、「おあがり」といってはじめて犬が食べる、そんなふうに、男の行動を制約したいのである。
いや、それは言いすぎにしろ、前以てこっちの意向をたずね、打診して、こっちがうん、と言ってはじめておとずれてほしい。さすればこっちの女の方も、準備万端おこたりないく迎えることが出来るのだ。今夜のように、阿漕が才覚を働かせ、大車輪で働き、その成果を見てもらえるのである。
「結果としては、いい賽の目が出たじゃないか。みろ、男に任せておけば、悪いようにはならないのさ」
帯刀は、阿漕の機嫌よいのが、嬉しくてならなかった。── 要するに、彼は、この女にぞっこん、惚れているのだった。
二人は、少将と姫君の将来のことを楽しく語りあった。少将の愛がいつまでも続き、姫君が少将の北の方として、晴れて迎えられる日の来ることを祈る気持だった。
今宵はむろん、姫君の部屋から、泣声など、聞こえるはずはない。姫君も、楽しい夜を過ごされているのかも知れなかった。
あっという間に、夜が明けた。
「お車が、まいりました」
竹丸が、帯刀に言いに来る。それで、帯刀たちも起きた。
雨が降っていた。
阿漕がまだ暗いたてものの中を、火をともすほどもないので、手さぐりで歩いて、
「お迎えがまいりました」
と、部屋の外からひそかに言うと、
「雨が止んでから帰ろう ── 少し待たせておけ」
と、少将の若々しい声がする。
(さあ、いそがしくなった)
阿漕は部屋を退って来てそう思った。
三の君のもとを訪れて来る婿君にそうするように、少将にもいろいろ、お世話してさしあげたい。男君が起きられると、洗面の支度をととのえ、朝食の準備をするのが習慣である。婿をもてなすのに、粗相があったはならない。
三の君の場合は、新婚のこととて、北の方みずから督励して、もてなすのにぬかりなかったが、姫君に、そんな用意があるはずはなかった。しかし阿漕は、どうかして、人なみな接待をして姫君に恥をかかせたくないのであった。
食事に、洗面の用意の湯、それらを、右から左へ持ってくるわかにはいかない。広大な邸の中、どこででも火を起こすことは出来ない。台所に行かなければ、それらは手に入らないのだ。
けれどもあるじの中納言はじめ、みなみな留守なので、台所では何の用意もないに違いない。ないが、はしためたちの食べ料に、少しは何かあるだろうと思って、阿漕は台所へ行き、水仕女みずしめを探した。
「おばさん、お早う」
阿漕は気どりない快活な女なので、台所の女たちにもよく思われている。お邸仕えも女房は、つんとしてお高くとまっているのが多いものだが、阿漕は社交家なので、顔がひろく、こういうときは便利である。
「おや、早うございますね、せっかくのお留守だから、ゆっくり寝ていらっしゃればよいものを」
四十がらみの水仕女は、いま起きたばかりらしかった。
「それがねえ、帯刀の友だちが夕べやって来ましてね、話が長びいて泊まっていったの、折わるく、この雨でしょう、まだ帰れないので、食事を出してやりたいと思うんですけど、何も食べ物がなくて、何か、残り物でもないかしら、それから、お酒少し、あれば酒の肴のものが何か・・・。ワカメみたいなものでもあればいいんだけど」
「まあ、そうなの、大変ですね」
と水仕女は同情した。
「お客が朝もそのまま、というのは気忙しいものですよね。男ったら、全く、ヒトの家のことはかまわないんですからねえ。── よろしゅうございます、少しくらいはありますよ、お帰りになった時の、精進おとしのためのものがありますから、それをお持ちになって下さい、北の方ったらねえ・・・」
と水仕女は、声を落した。
「留守中の食料まで、キチンと桝ますで計っていかれるんですよ、私らが横流ししやしないかと思って ──。ケチでいらっしゃるから。でもいいですよ、精進落しの宴会の分は、すこし余分にとりのけてあるんですから、二人や三人の分は、あなた・・・」
「じゃ、お願いするわ、ほんの少し、頂ければいいんだから」
阿漕はそう言いながら、瓶子へいじ(徳利である)へ酒をとくとくと注ぎ入れた。思いきって取るので、水仕女はびっくりして、
「阿漕さん、少しは残して下さいよ」
と言う。
「わかってるわよ。でも精進落しの宴のときは、きっと北の方さまはご機嫌でいらっしゃるだろうから、少々お酒が減ったってわかりゃしないわ」
阿漕は海藻のいろいろ、干し鮑あわびなどを水仕女が出してくれたので、
「どうもありがとう、助かったわ、おかげさまで」
とにっこりして礼を言った。
「ご飯は、露つゆさんに取りに来てもらって下さい。炊きたてのをさしあげますから」
と水仕女は言ってくれた。
阿漕は部屋へ酒を隠して持ち込み、露に命じて、椀に熱い御飯を取りに行かせ、自分は大切な客に供するための道具を、調達するため、走りあるいた。
まず、食膳が要る。
それから洗面のための半挿はんぞうが要る。これは湯や水を注ぐための、うるしぬりの大きなポットである。
湯を入れる角盥つのだらいが要る。これもうるしぬりの丸いたらいで、持手が、角のように両方へ突き出たものである。姫君は最低必需品のそれさえ、粗末なもので、人前に出せない。
阿漕は、こんな小道具ならお借りしてもどうということはあるまいと、三の君の部屋から持ち出してきた。
そうして、露の運んで来た食べものを、膳に美しく盛り、自分も身じまいして、お化粧をする。
迎えの車を、人目のつかぬところへ引き込む手伝いをしていた帯刀が、部屋へ戻ってびっくりした。
阿漕は女房姿になり、とっときの美しい衣裳を身につけて、見違えるような化粧をしている。
三の君の婿君の前へ出る時の正装である。
表着うわぎの上に帯をうちかけ、うしろで結んで、その端を、美しく垂らしている。
髪はあざやかに、居丈よりも三尺ばかりも長いさまで、滝のごとく背に流れている。
「お、お・・・これは、見違えたぞ」
と帯刀は見とれた。
「あんたのためじゃないわ、少将さまとお姫さまの、ご新婚の翌朝のお祝いだわ。女房は、婿君をお迎えする時は、いつも正装するのよ。── 汚れた手で、あたしに触れないで」
と阿漕はあいかわらずへらず口を叩きつつ、目よりも高く、食膳を捧げ、うしろから露のも持たせて従わせる。
しずしずと歩む阿漕のうしろ姿の美しさ、折から朝の光の中に、帯刀はほれぼれと見送って、
「畜生、美い女だぜ、口は悪いが」
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