~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第二章 夜の黒髪 (十八)
さて、阿漕が、
方違えのお客さまがおいでになるので、几帳や、夜具を・・・」
と叔母に依頼したのは、賢明な口実と言ってよい。女同士のことだから、叔母は大いに共感したらしかった。
「お手紙拝見しました。いとやすいことです。でもね、もっとたびたびお便り下さいね、年とると、身内はことのほか、懐かしくなるものなのよ。
お申し越しのもののほかに、まだ何か、お入用のものはありませんか
おかげさまで、うちはただいま、楽な暮らしをしておりますし、私が言うのも何だけれど、叔父さんはやさしくてねえ、何でも私の言いなりですよ。道具でも着物でも、、よく買ってもらいますので有難いことです。
この着物は、粗末だけれど、私が着るつもりで縫っておいた新しいものなので、差し上げます。こんなのはお持ちかも知れないけれど。
それから、几帳も、さしあげましょう。ほかのものも、遠慮なく、おっしゃってね」
阿漕は嬉しかったが、叔母が使いに持たせてよこした紫苑しおん色の衣の、中の真綿の入った、暖かそうなものを見た時は、いっそう嬉しかった。これは身にもまとい、また夜やすむときは、脱いで上にかけて夜具ともなる。なにしろ、袖丈も着丈も長く大きいものなので、ゆうに、ふとん代わりになるのでった。しかも軽く、美しい。
「こんなものを調達してまいりましたが、」お召下さいませ」
と阿漕は早速、姫君に見せた。
表は薄紫色で、裏は緑がかった青色の、清らかな、暖かそうな衣である。
「お姫さま、この下には、ぜひ、このお袴を・・・」
阿漕は、自分の一張羅の袴を出して来た。
「まことに失礼かと存じますけれど、まだ二度ほどしかはいておりません。夕べは、お気の毒なお姿で、お会いになりましたのですもの、今夜はぜひ、これをお召下さいまし」
それは阿漕が、三の君の前へ出仕するときのための袴である。三の君の婿の手前、北の方は、女房たちの身なりにやかましいので、いい袴を大切にしていたのだった。
姫君は、阿漕の気持が嬉しかったので、
「ありがとう、では、着ます」
と素直に感謝して、着更えた。
「私の物をさしあげるなんて、馴れ馴れしくて申しわけございませんが、子の際ですからお許し下さいまし。薫物たきものも、ちょうどございます。ほら、三の君さまの裳着もぎのときに頂きましたものですわ、ほんのちょっぴり、包んでとりのけておきましたんでございます。こんなこともあろうかと思っていたら、まあ、やっぱり役に立ちました!」
阿漕はそう言い。練り香を火にくべ、袴を香ばしく匂わせて、顔を輝かせた。ああ、女は、こういうことがしたかったのだ! 結婚の初夜にそなえて。
几帳も、新品のように新しく、清らかであった。阿漕は、叔母の厚意をしみじみ嬉しく思っていたが、ゆっくり喜んでいる暇はなかった。はや、少将が訪れて来たのである。
2026/04/21
Next