~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第二章 夜の黒髪 (十六)
帯刀は、少将からの手紙を受け取って、自分も阿漕に宛てて書く。
「今度こそ、お返事頂いておくれ、でないと、あんまりだよ ── 少将の恋はどうもホンモノらしい。一時の浮気ではおありにならないのは、おれが誓ってもいい。色よいお返事を頂いてくれ、頼んだぜ」
「今度は、どうあってもお返事なさいまし」
阿漕は、姫君に強く言ったが、姫君は、まだ床から起きない。
(お嗤いになったにちがいないわ、わたくしの姿をご覧になって ──)
と思うと、このまま、消え入りたいような恥ずかしさで、ふすまをかずいている。若い女らしい、いちずさで、そのことよりほかに考えられないのだった。
阿漕は困って、帯刀に返事を書いた。
「姫君はやっぱりご気分がわるいらしくて、どうしてもお返事は書けないとおっしゃっています。
少将さまの恋はホンモノだとおっしゃいますが、どこまで信じたらいいんでしょう。だって、夕べのことを見たら、全く、お二人心を合わせて、白を黒と言いくるめかねない様子ですもの。
あんあたが誓ったって、アテにならないわ」
という返事をやった。
帯刀は、また、それを持って少将に見せに行く。
「面白い女だな、お前の恋人は」
少将は笑って、
「こりゃ、なるほど、しっかり者で面白そうだ。イキが良さそうな子じゃないか」
帯刀は、恋人をほめられると、だらしなくなってしまう。
「姫君のために、自分ひとり、やっきになっているところがいい ── しかし、この手紙は、今夜も来い、と言うナゾだな」
「何でも、ご自分の都合のよいように解釈なさいますな」
「なんだって?」
「いえ、こっちの話で」
「早く、日が暮れないかなあ、今宵こそは ──」
と少将は、いろいろな空想に身を任せて、今はもう、日暮れを待つ以外、人生に何の目的もないように見えた。
阿漕はというと、これは大車輪で忙しい思いをしていた。
今夜も、きっと少将は来る ── 後朝の文に、あんなにも情熱を込めて愛を誓ったからには、ここしばらく、つづけて通うに違いない。
昨夜は、だしぬけだったから、姫君にも恥をかかせ悲しませ、少将を落胆させてしまったが、今夜は用意万端ととのえて待ち受けたかった。
そうして阿漕は、最高の状態における姫君の美しさを、少将に見て欲しいのである。また、心利いた自分のとりなしをも、認めてもらいたかった。
相談する人もないので、阿漕は一人で心を砕いて、部屋の大掃除をする。屏風や几帳もないので、まずその手配からしなければならない。
「お敷物を直しましょう。お姫さまも、お心を取り直して、お化粧でもなさいませ」
阿漕は、姫君を起こした。
姫君は素直に起き上がったが、顔は赤らみ、目は泣きれて、見るもいたわしい様子だった。
「さあ、おぐしでもおとかしいたしましょう。、また、気も晴れますわ、せっかくのおくつろぎの日ですもの、お元気になっていただかなくては」
と阿漕は言って、姫君の髪を梳かしはじめたが、「元気を出せ」と言っても、世間知らずのお姫さまにとっては、昨夜のことはほんとうに衝撃であったろう。気を取り直せと言う方が無理である。
果たして姫君は、阿漕が掃除を済ませると、
「やっぱり、気分が悪くて・・・」
と横になってしまった。

阿漕は、姫君のしたいようにさせておき、自分はてきぱきと、片付けていった。露を呼んで、姫君のお道具類の塵を拭いたり、磨いたるする。髪を束ねて巻き上げ、着物の裾をからげて、婢女はしためのような姿で、かいがいしく働く。
姫君は、亡き母君のおゆずりで、美事な調度類を、ほんの少し持っていられた。
ことに、鏡などは、立派なものだった。
(これだけでも、お持ちになってらしてよかったわ、でないと、あんまり殺風景だもの)
と阿漕は思いながら、鏡をよく拭き、みがいて枕もとに飾ったりした。
「御几帳があればよろしいににね」
露が残念そうに言う。
「おるすのあいだ、あちらに方からお借りしましょうか?」
というのは、三の君や大君の邸のことをいうのである。
「いいえ、それぞれ、留守番の人がうるさいし、私にいい考えがあるから任せておおき」
2026/04/19
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