~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第二章 夜の黒髪 (十三)
帯刀が少将に従って帰ってしまうと、阿漕は、身のおきどころなく、進退に窮した。
なんの面目あっ、姫君にお目通り出来よう。
自分も、男たちとひとつ心を合わせて、だましたのだと恨んでいらっしゃるかも知れない。阿漕は自分の方が、泣きたかった。
しかし、そのまま、じっと引き籠っているわけにはいかない。それに、姫君のご様子心配にもなる。
阿漕は思い切って参上してみると、姫君は床に臥して、頭から、ふすまをひきかずいていた。
「まだ、おやすみでございますか・・・」
と、そっと声をかけてみても、返事はなく、身じろきもしない。
阿漕は途方に暮れて、いったん、自分の部屋へ退っ。
と、そこへ後朝の文がきた。
これは夜を交わした朝、男から女へよこす手紙である。帰って間を置かず届けるのが、誠意あるしるし、とされている。翌日の夕方に来たりするような手紙は、愛も誠意もないのであって、こういう恋人は脈がない。少将は、帰宅するや否や、手紙を届けて来たのである。
少将から姫君へ宛てたもの、それから、それにつけて、帯刀から阿漕に宛てたもの、と二通あった。帯刀の手紙には、
「ゆうべはえらい目にあった。
何もかも、おれのせいにして、お前がいじめるんだから、やりきれないよ。
こんあ調子だと、もし少将が、姫君に不都合でもしでかされたら、おれまでどんな目にあうことやら。
だが、安心してくれ。
そいつはない、とにらんだ。
少将どの、姫君に、ぞっこんだよ。おれの方がビックリさ。
姫君の方は、、しかし、女だから、そうはいかないだろうなあ。さぞむくれて、おれのこともイヤな奴だとお思いだろう。とすると、これからの恋の使い、いっそう、事めんどうだろう。それを思うと、おれも憂鬱だが、仕方ない、すまじきものは宮仕え、少将からの手紙があるから、これをお渡ししてくれないか。お返事をぜひ頂きたい。
少将のお手紙をご覧になれば、姫君のお心も溶けるさ。そこは男と女、遠くて近い間柄というもんだ。お前が心配するほどのことはないよ。
いったい、お前が、ご大層に勿体ぶるから、事がこんぐらがるんだぜ。よくあること、と思いなさい。
バカな可愛かわいっちゃんの阿漕へ。
                         お前だけのもの、帯刀より」
「何言ってんのさ、バカにしてるわ」
と阿漕は手紙を読んでつぶやいた。
姫君が、どう思うか分からないけれ、ともかく、手紙だけは、お目にかけようと、阿漕はまた、部屋へ行った。何か、声をかけるのも、はばかられる気がして、入りにくかった。
「少将さまからのお文ですわ。後朝の文でございますから、ご覧遊ばあそばしませ」
阿漕はそういうが姫君は返事もせず、向うをむいてじっと身じろぎもしない ── 美しい髪が枕上に散っていて、床に臥したまま、顔を埋めていた。
阿漕は、姫君が、男とはじめて夜を過ごした羞恥心から、身をかたくしているとは思えなかった。姫君は、声を忍んで泣いていたからである。
阿漕は、たとえ少将の出現が唐突であったにしても、恋が順調に育つとしたら、あるいは姫君も、警戒心を解いて、結果的には甘美な夜を送られたかも知れえない、とたのみをかけていたのだ。
しかし、このようすを見ると、不成功だったとしか、思われない。少将は、姫君の意に反して、無理無体に迫ったのかも知れず。姫君は、乙女ごころを傷つけられて、悲しんでいるのかも知れない。
とりかえしのつかないことになってしまった。
阿漕は、目の前が暗くなっていくような思いだったが、気を取り直して、声をかけた。
「ゆうべは、なぜか、知らぬ間に寝込んでしまっておりました。あっという間に夜が開けてしまいました。今更、何ごとを申し上げても言い訳がましく、お姫さまはお受け取りになうでしょうね。でも、ほんとうに、私は、少将さまが忍んでいらっしゃることは、存じませんでしたので・・・」
姫君は黙り込んで返事もしない。
「もし、私が、あらかじめ知っておりましたら、なんで、そんな不意打ちのような目に、お姫さまをおあわせるるものでございますが、決して、さようなことはございません、神かけて誓います。夫の帯刀も、私には、何ひとつ言ってくれなかったのでございます・・・」
「・・・」
「やっぱり、私が、少将さまのことを知っていて、かくしていた、とお思いなんでございましょうね」
阿漕は、涙が出て来た。
「長い年月、お仕えしてきて、お姫さまを姉妹とも思い、大切に大切に存じあげてきました。その私が、なんで、お姫さまのお心を傷つけるようなことをいたしましょうか、なさけのうございますわ・・・お姫さまお一人、この邸に残られるのがいとおしくて、楽しい石山詣でも、口実を設けてお供しなかった私でございます。お姫さまと二人で楽しむのでなければ、どんなことも楽しくない、と私ですのに、それほど思う甲斐もなく、私の言葉も立場もお耳に入れていただきませんで、つれなくあそばすのでござますか・・・。そうまでお姫さまに嫌われては、私の立場はございません。よろしゅうございます。ご奉公も今日かぎり、おいとまを頂いてどこかへ行ってしまいます。・・・」
阿漕が泣いていると、姫君は、やっと頭をもたげ、涙にくぐもった声で言った。
「お前が少将さまのことを知っていたとは思わないわ・・・・」
姫君は、阿漕がかわいそうになっている。
「阿漕に腹をたてているのではないのよ。わたくしはあまり思いがけなくて、動転してしまった上に、こんなひどい身なりを、はじめての男の方に見られたのが、死にたいほど恥ずかしいの」
姫君はそう言って、またひとしきり泣いた。
2026/04/18
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