「なぜそう、おいといになる」
少将はやさしく言い続ける。
「人なみでもないように扱われますが、私の誠意は、ほかのどんな男にも負けませんぞ。また、不肖道頼、家柄・才幹とも、人におくれをとらぬと自負しております。の手紙に、心からの愛を幾度も誓いました。しかし、ただの一行も、お返事がなかった。こんどこそ、こんどこそ、と夢見ながら、ついに『見た』という意思表示さえ、なさらない。あきらめようと思いながら、何というふしぎなこと、ますます、恋心はやみがたく、募ってくるのです。── もうこの上は、直接お目にかかろうと、私は押しかけてきました。あなたご自身のつれなさが、私にこんな無礼な行動を取らせた、といってもよい」
少将は、春雨が大地をうるおし、ものみなを瑞々しくほとびかせるように、静かにゆっくりと、しかし小止みなく、訴えつづける。
多弁の印象を与えてはならない。饒舌と思われても、いやみである。そのため、間をあけて、ゆっくりとささやきつつ、姫君の衣に手をかける。
姫君は、── 深窓の姫君にしては珍しく、強い動作で、少将にさからった。単衣も着ず、袴だけを身につけている貧しさや継ぎの当たった衣を、男の目に触れさせたくない、という切望が、必死の強さを姫君に与えたのである。
「どうか、おゆるし下さいまし。・・・」
と姫君が目に涙をうかべて哀願した時、少将は思った。
女にとって、着物というのは、人間性の一部なのだ、ということを。
男のように、(なあに、剥ぐんだから、どうせいっしょさ)とか(中身さえ、あればいいのです)というわけにはいかないのだ。
女にとって、貧し気な、見苦しい身なりを男に見られるということは、からだを奪われるより、時として辛いものであるらしい ──。
そういう省察をする、ということは、少将が、いまや姫君サイドに立ってものを考えている、ということで、つまり、彼はホンモノの「恋する人」になってしまったのである。
「よろしい」
少将はきっぱりと言って、さしのべた腕をひっこめ、姫君を解放した。
「思し召しにしたがって、今宵はこのまま、ひきさがります。私は、あなたをいとしく思うがゆえに、ひきさがるのですよ。・・・私としては、それもまた、喜びになりました。あなたのために、自分を殺すということが、とりも直さず、私には嬉しいことになったのです。・・・いや、もう鶏が鳴いている。夜明けですね。お声を聞かせて下さい、せめて」
「わたくしは鶏以上に、泣いていますわ」
姫君が、遠く、部屋の奥へいざりつつ、ためいきのように言うのが、少将には可愛くてならなかった。
帯刀と阿漕の耳にも、明け方の鶏の声は聞こえた。
雨はやんでいるが、冷気はきびしい。
竹丸が部屋の外から声をかけた。
「お迎えの車が来ました」
「よし」
と帯刀は答えて、まだ拗すねている阿漕に言った。
「少将さまにお知らせしてこいよ」
「いやだわ」
阿漕は腹立たしくて、帯刀の言葉にすぐ反撥する。
「ゆうべは、席をはずして、今朝になって上ったら、あたしも同腹だと、お姫さまはきっとお思いになるわ。どんな顔で、お姫さまの前へ出て行けて? お姫さまがすすり泣きしていらっしゃるお声さえ、耳にしたというのに、知らんふりして出て行けると思うの?」
「まあまあ・・・」
「何がまあまあよ。この人でなし! うそつき、意地悪、腹の黒い男! あんたは、お姫さまが、あたしをお嫌いになるように仕向けて、それで喜んでるんだわ。もう、二度と来ないでよ」
怒っている阿漕は、帯刀にはかなわない。おとなの分別くささは消えて、子供っぽい、いちずさがムキに出しである。
「姫君がおきらいになったら、その分も、おれが可愛がってやるから、いいじゃないか」
帯刀は笑いながら、起きて、自分で、少将たちの部屋へ行った。
そうして、格子の外で咳ばらいをする。
、この頃のノックすることに相当する。
(車が来ました)
とという合図である。少将、
「寒い朝の別れは、ひとしお辛いですね。朝になっても別れなくてもいいような間柄に、はやくなりたいですね」
と姫君にたさしく言いながら、自分の単衣を脱いで、姫君に与えた。初夜の朝、お互いの衣を交換するのが、恋人たちの習わしであるが、少将と姫君の間には、まだ何の交渉もない。
しかし、少将の心持としては、はじめての愛を交したと同じ情緒に濡れているのである。
それで、自分の衣を与えたのであるが、それはまた、単衣も着ていない姫君に、それとない心遣いしたのでもあった。
姫君の方は、少将の配慮が、よけい恥ずかしかった。自分から与える衣もないことに、身がすくむような屈辱感をおぼえた。
「あなたの心の溶けるまで、百夜ももよでも通いますよ」
少将は、どっと涙が出、重病人のように床に臥してしまま、頭も上らず、気も遠くなるばかり、泣いている。
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