しばらくして、露が帰って来て、
「今晩は、お姫さまのおそばについていますので、あなたは詰所にでも行って友達と過ごして下さい、と阿漕さまがおっしゃいました」
と言う。
(何を言ってやがる、そうはいくものか)
と帯刀は思いながら、
「さっきの客の用件で、いそいで耳に入れたいことがあるから、ほんのちょっと出て下さい、言っておくれ」
と露に頼んだ。そうして、みずから、姫君の部屋のそばまで行って待っていた。
阿漕は出て来た。帯刀をみとめて、
「何なの? うるさいわねえ」
と近寄って来た。
帯刀は暗闇のまぎれに、抱きしめて、
「いや、さっきの友達はこう言ったのさ、雨の降る晩に、淋しい独り寝なんか、するなよって。さ、いこうよ」
「なあんだ、やっぱり、何の用もないじゃないの」
と阿漕は笑う。
「何の用もないこと、あるもんか。せっかく来てるのに、どうしてつれなくするんだい、お前が欲しくて、ほら、ごらんよ、この通り」
帯刀は阿漕の手をとって、自分の体にあてる。阿漕はもう逆らえない。
阿漕は、実のところ、今夜あたり、少将が忍んで来そうな虫の知らせがあった。さきほど帯刀のところに客人が来たと言うので、さてこそ、少将ではないか、と疑っていたのだ。
もし少将ならば、自分は姫君のそばについていて、それとなく、見守ってさしあげよう、求婚の立会人になろう、と思っていたのだった。
しかし帯刀が、のんきに自分のそばを離れないので、やっぱり朋輩だったのか、と気をゆるして、
「それでもう、お友達は帰っちゃったの、またずいぶん、用は早くすんだものねえ」
と、帯刀に連れられ、部屋に戻って来た。
帯刀は今や返事もしない。
阿漕を、この部屋から出さないためには、手段を撰ばぬ気になっている。そうして、帯刀の手段といえば、ただ一つ、どんな男性にも、これだけは、という男性的特技だけであるのだ。
「全く、あいつったら・・・。かんじんの時に来やがるから、腹が立つぜ」
と、帯刀はもっともらしく罵ってみせ、阿漕の軀を、すとん、と転がしてしまう。
「さ、前のつづきをはじめようよ」
「いやァねえ、お姫さまに退らせて頂くよう、ご挨拶するのだったわ」
「なあに、そんなことはいいよ、ちゃんと察していらっしゃるさ」
「あ、待ってよ、そんなにあわてないで。・・・いやァん。せっかち」
「女はいつあわれるのかねえ。女っていうものは、こういうときいまって、乱暴ねえ、とか、せっかちねえ、とかいうけど、これがのんびり出来ますか」
帯刀は、なるったけ、阿漕の気を
逸
らそうという下心があるので、口も手もいそがしく動かす。
「あ、つめたい・・・」
阿漕は胸もとへ忍び込んで来た男の手に、身をちぢめ、
「すぐ、暖かくなるさ」
帯刀は声を殺して、阿漕の可愛らしくまるい乳房をわしずかみする。
「ちょっと・・・ちょっと」
と阿漕はあわただしくその手を払おうともがく。
「文句の多い奴だな、何だい」
帯刀はわざと向っぱらを立てた声を出した。
「お姫さまなら、ほら、琴の音がまだ聞こえてるぜ。のんびりと一人で楽しんで弾いていらっしゃるのさ」
「ちがうのよ、誰だか、あたしを呼んでるみたい。どうも犬丸の声だわ」
「犬丸って誰だ?」
「このお邸の居候の好色爺さん、典楽の助の従者よ。主人が主人なら、家来も家来なの。とてもしつこく、いやらしく言い寄るの」
「そいつが来たのか?」
帯刀は耳を澄ませた。そういえば雨音に混じって、かすかに遠くで、若い男の野太い声が、
「阿漕さん・・・阿漕さん」
と呼んでいる。
「何の用あって、犬丸とやらが、今ごろ来るんだ?」
帯刀は男の嫉妬と
猜疑心
さいぎしん
をあらわにみせた声を、とがらす。これも、いわば帯刀の演技である。
「もしかして、お前、付け文されて色よい返事を書いたんじゃないのか、こんな雨の夜、忍んで来るなんて、只の仲じゃないぜ」
「何言ってんのよ、誰が受け取るもんですか、あんなバカの手紙なんか、それが低能のくせにしつこいのよ。鈍感だから、いくら、じゃけんにしてやってもあきらめないの」
「追えども去らぬ煩悩の犬丸、という所だな」
「ふふふ。この間なんか、扇で頭を叩いてやったぐらいよ」
「うーむ。それでも性懲りもなく来るのか。よし、今度はおれが会って、話をつけてやろう」
「あんたが」
「うん。阿漕はおれのもんだ、とはっきり釘を打っといてやる。いかにあつかましいやつでも、東宮坊の帯刀がうしろについていると知ったら、恐れ入って手を引くだろう。── お前はこの部屋を出ちゃ、いけないよ。犬丸がお前を見たら、また煩悩をおこす。逆上して何をするかしれない。おれだって、無用の殺生はしたくない」
帯刀は、阿漕を部屋に閉じ込め、手燭を持ち、太刀をさげて出て行った。
妻戸の縣金をはずして、簀子縁に出てみると、うろうろしていた人影が、嬉し気に走り寄って来た。
「あっ、阿漕さん!」
びしょ濡れの犬丸なのである。
「今夜は、お邸の人みな、るすなんだろう? おれは、お前が供しないと聞いて、わざと仮病つかって居残ることにしたのさ。・・・せっかくの石山行きをあきらめても、お前と逢いたくて。この、男の誠意を知ってほしいんだ・・・愛してるよ、阿漕さん」
犬丸は、帯刀の足もとにすり寄り、裾を捉えようとして、帯刀の佩おびた太刀の鞘さやのこじりに触れ、ぎょっとした。
「あ、阿漕さんじゃないのか」
「よく見ろ、おれが、阿漕の夫だ」
帯刀は、遠くへ離し持っていた手燭を、犬丸と自分の間へ近寄せる。
小さな灯だが、真っ暗闇の中なので、帯刀の姿は、けざやかに、光の輪の中に浮かび上がった。
犬丸の見上げたものは、はしっこそうで、男ぶりのよい若者で、勝ち誇って傲然と胸をそらしている。帯刀の見おろしたのは、雨に濡れそぼち、あわれ気な様子の、間抜け面のニキビ男である。
「あ、阿漕の夫だって?・・・まさか、あの阿漕さんに・・・」
「そうさ、あの阿漕には男がいるのさ。二度とつきまとってみろ、容赦しないぞ。帯刀の太刀はダテに下げているんじゃないんだ!」
帯刀が太刀の柄に手をかけて鳴らすと、犬丸は飛び上がってへたへたと後退りする。
「そうか・・・そうだったのか、ようし、おぼえてろ」
犬丸は恨めしそうな顔つきになって、捨てぜりふを吐きながら逃げて行く。
「この恨みは忘れないぞ、畜生・・・それに、阿漕さんのことも忘れないぞ。おれは、いっぺん思い込むと、命がけなんだ、忘れるものか、いつかはこっちむかせてみせるからな。お前なんかに負けるもんか・・・・」
「何だと! いれに挑戦しようってのか、面白い、おれは命知らずの帯刀といわれる男だぞ、いつでも来い!」
帯刀が、丁! と太刀のつばを鳴らすと、犬丸は、へたりと腰を抜かし、狼狽るばいしていざりながら逃げて行く。そうして闇の彼方へ遠ざかりつつ、情けなそうな声で対抗してくる。
「おぼえてろ、きっと、この仇は取ってやるから・・・・」
「あはははは」
帯刀は笑いながら、なおも威嚇いかくするように、太刀を鳴らしていた。
「お前のような奴、阿漕に指一本も触れさせるものか」
帯刀が帰ってみると、阿漕は灯のもとに起きあがっていた。
「犬丸だったでしょう?」
「犬丸か知らんが、濡れ鼠の若い男が、震えながら猫撫で声で、“阿漕さん”と呼んでたよ。おどかしたら夢中ですっとんで逃げた」
帯刀は、阿漕の横へすうりともぐり込んで、
「冬の短夜を、あたらつまらん奴らのために時をつぶされた、勿体ない、善は急げ!・・・」
何か言おうとした阿漕の唇を、唇でふさいで、四肢をからめて捉え、しめつけて動かせないようにしてしまう。
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