~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第二章 夜の黒髪 (六)
餅袋二つには、どっさり、食べものが入っていた。美しく取り合わせて、栗を、あまずらで煮たもの、百合根の甘煮、揚げた団子、煎餅などを一つの袋に入れ、もう一つの袋には、いろ餅が入っている。それに紙を仕切りにして焼米を入れてあった。
焼米は、新米をこうばしく ったもので、旅行用の、携帯食というか、常備食というか、いわば、現代の堅パンのようなものである。
帯刀の母の手紙が入っている。
「焼米みたいな、下々のものを入れておいては失礼かと思ったのですが ── これは、食べる時、いやしげな口つきになるものだから、きっと、阿漕さんは、おわらいになるかも知れない。おはずかしいことです。だから、これは、阿漕さんにはお目にかけないで、露とかいう、召使いの女の子にやっておくれ」
年寄りらしい配慮である。
中納言邸が人少なで、食事も不自由なのではないかと案じてのことであろう。帯刀の母は、帯刀を通して、阿漕に好意を持っているのであった。
「焼米なんて、実用的なたべものねえ」
阿漕はふき出した。
「まるで、かけおちの用意みたい。── あなたが指図したんじゃなくって?」
「知るもんか。おれなら、こんな不体裁はしないよ。お袋のおせっかいだろうよ。露、。これを持って行って、竹丸とおあがり」
帯刀は、焼米を露にやった。
露は大喜びで両手に受け取って、顔を輝かせた。
貴族の邸につとめているといっても、この時代は、たらふく食べることは少ないのである。食べものはそんなに潤沢ではない。
たいてい、下々の使用人は、おなかを空かせているものである。
帯刀と阿漕も、楽しく二人で食べた。
「枕草子」の中で清少納言は、「忍んで来た情人にたべものなどを出すのは大嫌い」と言っている。
また、恋人の家へ忍んで行って、そこで湯漬けなどの接待を受ける男の気が知れない、ともいう。
「源氏物語」の中でも、光源氏は、あちこちの女のもとを訪れるが、訪れる先で、食事したり酒を飲んだり、ということは全く、しない。
正妻の葵の上や紫の上のもとでは、そういうことも折々あるが、要するに、上流貴族は、恋の場と生活の場を 峻別 しゅんべつ していたらしい。
だが、いま帯刀は阿漕と、おししいご馳走をたべ、すこしばかり酒を飲んで、よりいっそう、幸福な気がし、阿漕をいとしく思いはじめている。
阿漕も、もろともに飲食する楽しさを知り、帯刀に愛情を抱く。一緒のものをたべるほど、人の心を結びつけることはないのに、まして恋人同士なら、なおさらである。
そうして阿漕は、恋人とものをたべているときは、すでにそれからして、愛の動作の一部だと思うようになっている。
二人は飽食して、ゆったりとして、今はたがいに寄り添い、にっこり微笑み交わしながら寝ていた。
2026/04/11
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