「阿漕ちゃんや ──」
典楽の助は猫なで声で寄って来た。
阿漕は典楽の助の、体臭とも口臭ともつかぬ、男臭い臭いさえ、嫌いである。
「お前の可愛いお姫さんに、なんでまた、わしの手紙をとりついでくれへんのや、── わしの思いのありたけを書いた文を、むざと犬丸が持って帰りよったわ。まさか、お姫さんに通う男が、ほかにいるはずはあるまいが、どうしてこのわしの文は、受け取られまへんのや」
「とんでもないことですわ、北の方さまは、とてもおきびしくて、、姫君に、色めいたことはあってはならぬと、かねてからやかましく言っておられます。もし、北の方さまに知れたら大変です。どちらの殿さまのお文も、取り次いではならぬと、きつく申し渡されていますのよ」
「うむ、北の方は恐ろしいからなあ」
と典楽の助は、すこし、ひるんだ顔色になったが、また、にたにたとして、
「しかし、北の方やかで、出来てしもうたことはとやかくいうても始まらんやろ、そやさかい、とりあえず、お姫さんとわしの既成事実作ってしもたらよろしねん、な、阿漕ちゃん、たのむわ、
按配
してくれたら、欲しいもん何でもやるさかい、たのみます、これ、この通り」
典楽の助は、両手を合わせて拝んでみせる。
阿漕は、ふふん、と思いながら、
「いったい、なぜそう姫君に執着なさるの? 典楽の助さんは名医だから、あちこちのお邸へ上られたら、女の人に、うんともてるでしょうに」
と、迷惑気な色が、眉の間に出るのである。
典楽の助はいっそう、にたにたと
相好
そうごう
を崩して、
「そら、ぎょうさん(たくさん)女はいるけど、わし、もう、オバハンはいやになったんや」
「オバハン・・・」
「さいな、わしが言い寄ると、すぐ、なびいてきそうな女は、みな、色気婆さんか年増のシタタカ女ばかり、わしも、もうそういうのに食傷や、やっぱりこの、若うてピチピチして、新鮮で、手垢つかずの処女がよろしおます。そないいうて、よその若い女は、わしなんか相手になってくれへんし、この邸の落窪のお姫さんのような世間知らずが、いちばんええのや」
「まあ、あつかましい」
阿漕は腹が立って返事も出来ぬくらいであった。
どうして姫君を、この好色中年男の餌食などに、させられようか。
「北の方さまもこわいですが、大殿さまがなんと仰せられますやら。大殿さまは、あれで、お姫さまを可愛がっていられましてね、何かあると、たいへんですわ」
と、阿漕は言ってやった。
居候なので、典楽の助は、中納言に頭が上らないはずである。彼は頭を傾け、
「まあ、殿さんが何と言わはるか知らん、けど、かなり、もうろくしてはるんで、あの北の方のいいなりやさかいなあ」
「でも、かんじんのお姫さまが、そんなお気持ちはぜんぜんおありじゃないみたいですわ、お気の毒ですけど、典楽の助さんのひとりずもうね」
「そこをなんとか、たのむ」
「何とかって、何するんです」
「お姫さまが病気にでもなりはったら、すぐ、わしを呼んでんか、病をなおすのは、お手のもの、腰さすったり、足もんだり、それは献身的に介抱しますわいな、そうやってるうちにお姫さんもつい、もやもやと・・・」
「まあ、何ていやらしい想像してるんでしょ」
「あ、阿漕ちゃんや、待ってんか・・・」
という典楽の助の手を、阿漕は振り払って、いつもの、飛ぶような足どりで離れた。
全く、なんと下劣な色情狂であろうか。あんな好色爺には、好色オバハンが相応なのだ。
そして、けだかく美しい姫君には、やはり高貴な公達が、ふさわしいのだ。
ところが、姫君と、右近の少将の仲は、いっこうに進捗しんちょくしないのであった。
いや、少将の方からは、せっせと恋文が、帯刀を通してもたらされる。
まず、薄すすきに付けられた、美しい歌が届いた。
その時代の手紙というのは、季節の花や木の枝に添えたり、結びつけたりして贈る習わしである。そうして、手紙の文句や歌に、それが読み込まれてあるのだった。
「穂に出でて いふかひあらば 花すすき
そよとも うちなびかなむ」
「まあ、すてき」
とうっとりしたのは阿漕である。
恋しい人と呼ばせておくれ、すすきのように風になびいておくれ。
「やさしいお歌ですわ」
阿漕がそそるように言うが、姫君は返事しない。
少将からまた、時雨しぐれれのはげしく降る日、手紙が来る。
「想像したのより、情じょうのこわい人ですね、あなたは・・・・。晴れ間もない今日このごろの空。私の心も、時雨れしていますよ」
姫君はこれにも返事せずつぶやくのだった。
「おちくぼに住む身が、なんで」
|