~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第一章 おちくぼ姫 (十八)
三の君は、蔵人の少将が、装束の仕立ての出来映えをほめるあまり、
「実際、ここで作って貰う着物は、よく出来ていて、これだけは取り得だな」
とたわむれたのが、気に障るらしかった。
「それしか取り得がなくて、申しわけありませんわね」
とつんつんして言う。
「冗談で言ったんじゃないか、・・・なぜそう、いちいち、ふくれるのだね」
「だって、わたくしに取り得がない、とあてつけられたように聞こえますもの」
「誰もそんなことは言わないよ。しかし、もしこれを、あなたが縫ったとしたら、・・・たいへんなものだが」
「わたくしは、縫物をするような身分に生まれてはまいりませんので」
蔵人の少将は、短気らしく、不快そうな顔色を、あらわに見せて、
「仕立てを褒めて、なぜこう、怒られなければならないんだ。ものを言うのも、考えないといけないのかね」
と言っていた。阿漕のみるところ、新婚夫婦のくせに、蜜月のうちから、よくこういういさかいをやっているしょうが合わないのかも知れない。
あとで、北の方が、女房たちに聞いた。
阿漕たちは、顔を見合わせ、
「少将さまが、袴のお仕立てを、とてもきれいに出来たとおほめになっていましたの」
とだけ、北の方に言った。
まさか、この邸の取りえは、着物の仕立てがいいことだけだ、という少将の冗談をそのまま取り次ぐわけにはnいかない。
北の方は眉をしかめて、
「それを、あちこち言い触らすんじゃないよ」
「は?」
「落窪の君なぞに聞かせると、いい気になって得意がるではないか。ああいう者は、増長させないように、いつも鼻ばしらを折っておくがいいのよ。それがかえって身の幸せで、人にも重宝されて使われるもにだから」
と言った。
女房たちはあとで、呆れて、
「ずいぶんなおっしゃりようじゃありませんか」
「落窪の君だって、姫君のお一人にはちがいないのに・・・」
埋もれさせるには惜しい、美しい方ですににね」
などと言い合った。
阿漕は怜悧な女なので、そんな時口を出さないでいるが、北に方に対する憤懣ふんまんは、おなかの中で煮えくり返っているのである。
しかし、それを、当の姫君の前でも、いうことは出来ない。姫君が、ひとのわるくちやつげぐちを聞くのを好まないことを、阿漕は知っているのである。
数日たって、阿漕は廊下でぱったり、典楽の助に会った。
「おやおや、阿漕やないかいな」
典楽の助でっぷり太って、頬の垂れた、五十七、八ばかりの男である。ぬけめのなさそうな眼には、いつもねっとりと好色そうな光がみなぎっていて、ぶあつい唇は、女に向かって笑う時、だらしなくゆるむのである。
「いちだんとまた、女っぷりが上ったやおまへんか、犬丸が惚れるはずやな・・・」
そばへ寄って来たと思うと、太った体のわりには素早い動作で、阿漕のおしりを撫でようとする。
阿漕は慣れているので、さっと身をひねって裾をさばき、
「ご冗談ばかり・・・ホホホ」
と、典楽の助の手をかわすのである。
犬丸とちがって、さすがに典楽の助の頭をり倒すわけにいかない。この典楽の助は、うだつの上らぬ医師で、邸内の長屋の一棟を借りて住んでいる。いうなら、この邸の寄食者いそうろうといってもよい。北の方の叔父にあたるので、いささかの敬意は払われているが、何しろ好色な中年男ということで、邸の婦人連からは鼻つまみな存在となっている。敬意というより、敬遠されているのである。
阿漕のような若い女には、脂ぎっててかてかした顔といい、好色そうな笑いといい、全く、典楽の助などは、いまいましい、不快な中年男であって、人間とも思えないのである。
若い女の好悪は、振幅が烈しくて、いったん嫌いだとなると、情け容赦もないのであった。
人間的な共感は吹っ飛んでしまって、ただもう、生理的嫌悪ばかりが先に立つ。

2026/04/05
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