~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第一章 おちくぼ姫 (十七)
あくる朝のことだった。
ふいに、父親の中納言が、
「どうしているかね。しばらく見ないが」
と、姫君の部屋をのぞいた。
めったにないことだが、折々、思い出すのも、親の情なのだろうか。
実は、中納言は便所へ行った帰りに、寒かったので、姫君を思い出したのである。
こう寒くてはどう過しているであろうかと、ひょいと覗いてみると、姫君は古ぼけて、白がねずみ色になったような単衣に、色あせた袴をはき、寒そうに震えていた。身なりはひどいのに、髪はさすがに美し気に肩にこぼれかかっている。
中納言は初老の年ごろだが、年齢より老けていて、痩せた、気むずかしい老人である。
もともと、やさしい言葉を惜しまずに口にする、とか、しみじみと情理をつくしてものを言う、とかいった、ものなれた柔軟な人がらではないのである。だから、ぽっきりと、それだけを言うのも、中納言にしてみれば、たいへんないたわりである。
寒い、と言えば、ひいては北の方の待遇ぶりを非難することになるので、姫君は困ってしまって、黙っていた。
「身なりがすこし、ひどいようだね、着るものはないのか」
父の中納言は、眉をひそめて言うが、姫君はうなだれて、返事に窮していた。
「どうして、そんなひどいものを着ているのだね。若い女が、みっともないではないか」

中納言はそういい、姫君が恥ずかしさに赤くなって、返事も出来ないでいるのを、ちがうように解釈した。
私も、お前のことは気にかかっているのだから、あちらの子供たちに、ちょうど手を取られるところだったので、ついつい、そのままになってね、──お前が面白くないのはわかるが、よい縁談でもあれば、自分ではからって結婚のことも考えたらよい。こういうところで、縫物に日を送っていてもはじまるまい ── あわれに思うよ」
中納言はそれだけ言うと、部屋を出た。姫君が深くうつむいて、返事をしないのを、娘に嫌われていると、思ったからである。
姫君は、日頃のことを父に、なつかしくしみじみと話したいが、北の方を 誹謗 ひぼう したくはなかったし、どう言えばよいか迷ってしまったのだった。
中納言の方は、娘をかえりみなかったという自責から、娘にうとまれていると思い込んで、浮かない気持でいる。
部屋へ戻って、北の方に言った。
「今、落窪の間をのぞいてみたのだがね、何か心細そうな、貧乏たらしいようすだった。白い着物一枚で震えていたが、ほかの娘たちの古着があれば、着せてやりなさい。夜は寒いだろうと思うが」
「まあ。・・・・」
北の方は眉をひそめる。
「また、そんな格好でいましたか? あの人はいつも何かとお着せするんですけど、お子に入らないのか、飽きっぽいのか、すぐ捨ててしまわれるんですよ。いつまでも大事にして着る、ということをなさらないので・・・・」
「困ったものだな」
「お気に入らないのはどんどん、人にやってしまわれたりして、・・・私の心遣いを無になさるんですわ、お好みが難しいんでしぃうね」
中納言は男のことで、着物のことはくわしくわからない。北の方にそう言われると、
「わがままな娘だな。母親を早くなくして、心もしっかりしていないんだろうか」
と言った。

北の方は中納言に言った手前、やはり冬の着物を、落窪の君に与えないわけにはいかなくなった。
ちょうど、三の君の婿の、蔵人の少将の縫物があった。礼装の、 束帯 そくたい のときにはく、 うえ はかま である。
「これは正装のご装束ですからね、いつもよりきおれいに縫いあげて下さいよ。ごほうびに、冬着をあげますから」
と北の方は言って持って来た。
姫君は着物が貰えるのがうれしくて、いそいで、美事に仕立てて渡した。北の方が点検したが、全く美しく仕立てられている。
北の方は、ほうびに、自分の着ていた古着を与えた。
「まあ、それが、ごほうびですか?」
と阿漕は姫君の着ている、綾織の紅の衣を見て呆れた。
「おどろきました、北の方のお古ではございませんか」
「でも綿入れなので暖かいの、これから寒くなるのでどうしようかと思っていたところだったから、嬉しいわ」
姫君はそう言った。自分ながら、卑屈になっているとは思うが、萎えたお古でも、暖かい者は事実、嬉しいのだった。
「お姫さまの縫われた表の袴は、とてもみごとに仕立てられていて、お召になった蔵人の少将さまも、おほめになっていたくらいですわ。だから私は、新しいお衣裳をひとそろえ、北の方さまが下さるのかと楽しみにしていましたのに」
阿漕は、悔しそうに言った。
姫君はそれよりも、少将がほめていた、というのが嬉しかった。
「そう? 三の君の婿君は、そんなにお気に入って下さってようだったの?」
と聞いた。
「ええ、あの方は、はっきりモノをおっしゃる方でございまして、悪い時は悪いとずけずけおっしゃるのでございますが、いいものは、熱心におほめになります。この装束はよく縫えている、とたいそうお喜びになっておりまして・・・・」
阿漕は、そこで言葉をとぎらせてしまった。
というのも、そのあと、蔵人の少将と三の君のいさかいを、目の前で見ていたからである。
2026/04/05
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