~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第一章 おちくぼ姫 (十二)
帯刀の母は、左近の大将でいられる高官のお邸に奉公している。
左大将のご子息、右近の少将と呼ばれる 公達 きんだち の乳母なのである。
帯刀は、右近の少将の乳兄弟というわけで、こちらのお邸へもしげしげと参上する。
この右近の少将は、権門の生まれではあり、美青年でもあって、奔放 闊達 かったつ な性質であるところから、かなり遊び好きの若殿様と思われている。
しかし、まだ定まった北の方もなく、その上どこか、人に愛されるようないい性質を持っているためか、世間の評判はそんなに悪くない。
少将は、自分と同い年の乳兄弟・帯刀を身近に使って、色ごとの相談相手やら、公務の愚痴やら噂話やらと、へだてない話相手にしていた。
帯刀が参上すると、さっそく少将は、
「おい、また、ばあやの説教だよ」
と笑った。
気品のある面立ちの青年貴族だが、その表情には、 柔媚 じゅうび というよりむしろ、剛直な、強いものがある。そうして、その口調は、率直で、きっぱりしている。それが、言い出したらきかない性質を暗示するようでもある。
「何でございます。また、北の方をはやくお定めあそばせ、ということですか」
と帯刀は、自分の母と少将を見くらべて座を占めた。
乳母である母は、帯刀と少将の、どちらが可愛いかといえば、少将の方が可愛いくらい、愛しているらしい。
「いつまでも夜歩きばかりなさっているのは、ちゃんとした北の方がいられないせいで、世間んお聞こえも悪うございますよ」
と、乳母は熱心に言った。帯刀によく似た、まだ若い、元気のいい乳母である。少将をほれぼれと見あげて、こんな立派な若い公達には、どんなにすばらしい姫君でも、勿体ないくらいだと信じていた。
じつのところをいうと、あの姫君、この姫君、と、いくつもそれらえいい話は持ち込まれるのであるが、乳母が高望みしているのであって、右近の少将がそのに気になれば、姫君を持っている親ならすべて、双手をあげて歓迎したであろう。
身分家柄といい、才幹風采といい、右近の少将は、非の打ちどころのない婿がねで、前途洋々たる青年だから、どこでも争って、わが家へ迎え、娘と結婚させたがるはずである。
しかし、右近の少将自身、まだ、定まった北の方を持ちたくない、という気があるらしい。
まだしばらくは、このまま、あちらの花、こちらの花を でて、気楽な独り住みでいたいと思うらしい。
帯刀と男同士のうちあけ話には、恋の冒険が、かならず出て来る。
この時代の貴族の結婚は、未婚の姫君の噂を、姫君のまわりの人々が、それとなく世間へ伝えることからはじまる。
姫君は、いずれも邸の奥深きところに閉じ籠り、容姿を人に見せることはない。
男は、その噂を聞いて、「まだ見ぬ美女」にあこがれ、恋文をおくる。それに対して、姫君の周囲の人々がいろいろ判定して、それなりの返事を書くが、その場合、たいがい女房や乳母などが代筆している。
文のやりとりが順調にすすみ、姫君側に応ずる色がみえると、男は忍んで通う。そうして、その翌朝、 後朝 きぬぎぬ の文を書くが、これは早ければ早いほど、男の愛のあかしなのである。
そうして、やがて女の親がみとめ、結婚式を正式にあげる。これを「ところあらわし」といい、姫君の一族を招いて、はじめて婿を紹介する。
女が男の家族になるのではなく、男が、女の家族の一員として、認められるのである。
忍んで通っている間は、夜遅く来て、翌朝早く、人目につかぬうちに帰らないといけないが、「ところあらわし」をして、新夫婦かための儀式である「 三日夜 みかよ の餅」を食べると、公然たる婿であるから、昼間も、おおっぴらに女のもとにいられる。
何年かして、男が女を自邸に引き取ると、これが 嫡妻 ちゃくさい となり、北の方、と呼ばれるのである。
また、姫君の親と、男の親が、とりきめた、家と家との結婚、というのもあり、親のいる姫君は当然として、そのケースが多かった。
これぞと思う婿がねを物色して、女の親が人を介して申し込む。
「源氏物語」の、光源氏と葵の上の結婚などは、親の決めた、いいなずけ同士のそれである。
そういう場合でも、はじめからすぐ女の家で住むのではなく、形式的にでも、男は女のもとへ通い、そののち、女の家に長くいるのである。
けれども、女の家を、常時のうみかとばかり、するわけでもない。光源氏も、自分の邸、二条邸を持っている。この時代の貴族は、遺産の邸宅を、父方、母方、どちらかからゆずられて所有している者が多いし、そうでなくても、親の邸の一部に住んでいた。そうして、女のもとへ通うのである。
また、たとえ、自邸に引き取って北の方にしようとも、貴族の邸宅は広大なものだから、妻と夫のいるとことは、棟がちがう。夜、別の女の所へにこっそりと出かけて行ってもわからないようになっている。
藤原兼家ふじわらのかねいえという貴族などは、終生、自分の邸に嫡妻をおかず、家では一人でのびのびと暮らしていて、方々の妻のもとへ通う。男にとっては理想的な暮らしであろうが、奔放な色好みだったので、妻の一人に怨みを込めて書かれることになった。それが「蜻蛉かげろう日記」である。
しかし、女たちはまだよい、男たちが、妻の一人として待遇をしていてくれれば、生活に不自由はなかったし、社会的にも尊敬されたから。
しかし、忍んで来る男にじつがなかったりしたら、女の運命はあわれである。そういうとき、自分で身を守る才覚は、そのころの深窓の姫君にあったとは思えない。
欲に釣られた不心得な女房たちが、とんでもない男を手引きしたりして、何の力もない無垢むくな姫君を、無残な運命に転落させることは往々にしてあった。親がどんなに気をつけていても、そばに仕えている者たちの才覚ひとつで、男が通って来ることはいくらでも出来るのだった。やたらと広い、ものまぎれのしやすい邸宅。夜の暗闇。この時代では、月がなければ、全く、黒漆を流したような、真っ暗闇で、一人二人忍び込んだとて、わかるものではない。
親の知らぬ間に、姫君に忍んで通うのを、
「盗む」
といった。
そのころの世間知らずの姫君の中には、自分が「盗まれて」いることさえ自覚出来ない、何が何だか呆然として、なすすべもない、というお姫さまもいたことであろう。
しかしまた、「今昔こんじゃく物語」などでみると、祈祷僧きとうそうと積極的に通じて、親から勘当された、勇気あるお姫さまもいたようで、むろん、それは、姫君といっても、それぞれの個性があったのは当然である。
2026/04/01
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