~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第一章 おちくぼ姫 (十一)
帯刀は入って来ると、自分で懸金を閉め、
「もう、離さないよ」
とささやくなり、男の力で抱きしめる。
阿漕は声を立てなかったのである。
「ほんとうに男って、狡いんだから」
阿古は、今も、あの時のことを、少し腹たてて言う。
「なに? あれ、おれは病人で、立ってるだけが精いっぱいだ、なあんていいながら、部屋へ入るか早いか、ものすごい力で、あたしの自由を奪うんだもの ──」
「すまん」
帯刀は、しかし、一向に、すまない、と思っていない顔つきである。
「だけど、男のあの時の力は別でね、病人だろうと、病みあがりだろうと、関係ないんだよ」
「あつかましいわ」
「お前をだましたわけじゃないんだ」
帯刀は腕を、阿漕の枕にかしていた。
「でも、そのおかげで、こうやって楽しい目を見ているじゃないか」
阿漕の女に、下手したでに出ていたら、つけあがって、いつまでたっても、ラチはあかなかったろうと、帯刀は思っているが、それは言わない。
「長生きしようぜ
「こんな楽しい時がいつまでもいつまでも続くように」
と帯刀は言う。
「まるで、爺さん婆さんのセリフみたいだわ」
と言いながら、阿漕も、帯刀をほんとに好きだと思っている。
ひとときの情熱の火が鎮まって、帯刀の腕を枕に、彼に抱きよせられ、とりとめもない話を交す時間は、阿漕にとっても一番楽しいものだった。
しかし帯刀が、長生きしようね、と言った時、阿漕は反射的に、姫君のことを思い浮かべずにはいられない。
早く、亡き母君がお迎えに来て下さらないかしら、と悲しいことをいうようになった姫君に、同情しないではいられない。
「おや?・・・・」
ふいに帯刀は、頭をもたげた。
「あの琴は、落窪の君かい?」
たえだえの琴の音が、聞こえている。まさしく姫君の弾く琴の調べである。
「落窪の君、なんて言わないでちょうだい。失礼な」
「お前は、あの姫君のことというと夢中なんだね」
「あたり前よ。あんまり不幸せでいらっしゃるもの。あのお姫さまがお幸せになられないかぎり、あたしも心から幸せになれないわ」
「やれやれ、それでは、お前の幸福は、おあずけ、というわけかい? それまで」
「いいえ、あたしが幸福だから、お姫さまにも、早く、幸せになっていただきたいと思うの・・・・」
帯刀は、かねがね、この姫君の境遇を、くわしく、阿漕から聞いていた。それを思い出しながら、佳人の琴の音に耳をすましていた。
「それで、美人なのかい、姫君は?」
帯刀は、心をそそられて聞く。
「そりゃあ、もう・・・・。西の対の、ご本妻ばらのお姫より、ずっと美人よ。おやさしくて、お気立てのいい方! でも、このごろずうっと、ふさいでいらっしゃって、おいたわしくてならない・・・・」
阿漕は、姫君の悲しい歌、
「われに露 あはれをかけば たちかへり
    共に消えよ 憂きはなれなむ」
「世の中に いかであらじと 思へども
    かなはぬものは 憂き身なりけり」
を、教えてやった。
「ふうん。── それにしても、その継母の北の方、っていうのが、おれは腹立つねえ。あるじの中納言は、何も言わないのかい? 自分の娘の一人にちがいないのに」
「それが、北の方さまに頭の上らないかたなの。男のくせに」
「男だから、そうなのさ。男というものはみな、妻には頭が上らない。おれもその通りだ」
「うそ」
「あれ、なぜ、うそなんて言う。おれはお前のいうまま気ままだよ。ためしてみな」
などとふたりで、ふざけて仔犬がじゃれあうように、肌をさぐり合っているのも楽しいのだった。
「北の方を、あっと言わせるような、いい婿君を、お姫さまに探してさしあげたいわ」
と、またしても阿漕はそこへ話がくる。
「どうせ、親が承知しないだろうから、こっそりと通うことになるな。そのうち婿君のお邸へ引き取られるというような、そんな結婚なら、いいんだがね」
「そうね・・・ああ、でも」
阿漕は、溜息をついた。
「お姫さまは当分、結婚ばなしには見向きもなさらないわ、きっと」
「しかし、結婚なさることよりほかに、この邸から出る可能性はないんだからね」
帯刀は、阿漕の頬をつついた。
「何かと言われても、そこは女さ。── いざとなればまた、気も変わるさ、ちょうど、お前のように」
「なんですって」
「いやだいやだ、と言いながら、どうだい、今は。男って、やっぱり、いいもんだろう?」
「知らない、あんたなんか、大嫌いよ」
と阿漕は跳ね起きた。いかし、長い髪の端を、帯刀に押さえられているので、苦もなく、また引き寄せられてしまう。
「ばか、ばか。ばか」
と阿漕は海老のように反り返って、帯刀から身を離そうとつぱっていた。
「なんてまあ、やんちゃなお姫さまだ、因果なことに、おれは、やんちゃが大好きときてるんだよ」
帯刀は、筋肉のすばしこく動く、いきいきした女の軀を、嬉しそうに抱きしめる。全く、二人でいると、秋の夜長も、短いのである。
2026/03/30
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