~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第一章 おちくぼ姫 (八)
「琴でもあそばしませんか。お気が晴れますよ。ひとふし、お聞かせ下さいまし」
阿漕はそうすすめてみた。
姫君が琴爪をはめていると、部屋の外で、
「阿漕さん・・・阿漕さん」
と遠慮がちな、露の声がする。
「ご免下さいまし」
と阿漕が、ちょっと立とうとすると、姫君はやさしく言った。
「お客さまではないの? もしそうなら、早くいらっしゃい。待ちかねているでしょう。ここは、遠慮しなくてよいから」
「まあ・・・・そんな」
はしっこい阿漕が、返事も出来ず、消え入らんばかりにしている。
「待ってますよ、あの人」
露は、子供っぽいぞんざいな言い方をする。
まだ色気も解しない、無邪気な取り次ぎである。
「あたしの部屋に通しておいてくれたの?」
阿漕の声は低くなる。
「ええ、火桶にも火をもっていきました」」
「それはありがとう、お前はもうおやすみ」
阿漕は自分の部屋に向かうとき、おのずと急ぎ足になっている。
ふすま障子をあけると、仄かな仮の洩れる几帳の奥に帯刀たてわきが、刀を枕に置いて、夜具に身を横たえていた。
「早かったのねえ、今夜は。まだお姫さまの御前にいたのよ」
「秋の夜長を最大限に活用しようと思ってさ」
帯刀は横になり、肩肘ついて阿漕を見る。
小ざっぱりした、二十二、三の男である。眉が濃く、眼もとの涼し気な、笑った口もとなど卑し気でない若者だが、歯切れのいい物言いが、阿漕におとらず、敏捷びんしょうそうな感じである。
「だって、・・・お姫さまに、“早くお行き”といわれて恥ずかしかったわ。あんたの方はのんきな身分だからいいけれど、あたしは日暮れどきからはやばやと退さがれないんだもの」
「おれだって、そうのんきな身分じゃないさ。でも、日暮れになると、もう、矢も楯もたまらなくなるんだよ」
帯刀は手を伸ばして、阿漕の手首をとらえ、ずるずると引き寄せた。
しどけなく倒れかかった阿漕は、
「あ、待って」
と口の中で小さく言いながら、重心を失った躯を支えようともがく。
「待てないよ」
帯刀は、阿漕の軀を、その長い髪ごと抱きしめて、
「昼間っから、考えることといったら前のことばかりしさ。・・・こう惚れちゃうとどうしようもないと、自分自身を叱ってみても、さっぱりダメだから困ってしまう」
帯刀は、うっとりと阿漕の髪に顔をうずめて、
「ああ、いい匂いだ・・・・」
紅や、蘇芳すおう色、青色、さまざまの色の衣が乱れて、花束を散らしたような中へ、黒髪を敷いて、阿漕は押し倒された。
「ほんとに好きだよ、惚れてるんだよ・・・」
「あたり前よ、あたしに惚れなくって、誰に惚れるの、こんないい女、ほかにいると思って?」
「ちぇつ、可愛げのないやつめ。でも、お前の、そんなへらず口が聞きたさに夜道を毎晩やって来るのさ」
若い二人は楽し気な笑い声を立て、帯刀はもう有頂天で、ところかまわず、阿漕に接吻する。
2026/03/26
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