~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第一章 おちくぼ姫 (六)
そんなわけで、たいへん「お金のかかる」姫を四人も持った中納言家の北の方としては、わが生みの娘たちに財を投ずるのに精一杯で、どうしてもよその腹の姫にまで手をまわすことが出来なかった。
世間なみの行儀作法、読み書きぐらいしつけたら、あとは、自分の腹を痛めた子供たちの世話役のようにして、邸にとどめおけばよい、とひそかに考えている。
幸い、姫君は縫物が巧みなので、させる仕事はいくらでもあるのだった。ちょっと気の利いた女房などは、縫いものなどをいやがるのである。もともと、こういう仕事は、下級の侍女の仕事なのだ。
中納言家では長女の大君、次女の中の君はもう結婚させ、邸内にある別棟の、西の対や東の対に住まわせている。それらの婿たち、更には、三女の三の君の、今度あらたに取った婿、蔵人の少将、これらの人々の着る衣服を四季につけて、それぞれ新調したり、縫い直したりしなければならない。そのために、北の方は、よそ腹の姫君を、一生この邸にお針女として飼い殺しにしておけばよい、と考えているのである。
「よそ腹の姫君」この邸における地位は、あいまいで中途半端なものだった。
家族でもなし、使用人でもなし、・・・・ましてや、姫君の数にははいらない。
美しくしつらえた部屋で、華やかな衣に包まれて、歌をよんだり絵巻物を見たり、という、物語の中の姫君のような生活は、夢のように遠い。
落窪と呼ばれる土間のような部屋で、終日、針を動かしているのみなのである。
「ちょっと気むずかしい人なのですよ」
というふうに、北の方は、夫の中納言に言っていた。
「若い姫にしては気強くて、むっつりしておられて。── 気軽に慕い寄ってくれるような、うちとけた人柄ならよろしいのですが、・・・もしかして、母君が皇族出身だということを、鼻にかけていられるのではありますまいか」
「さあ」
中納言も、娘としたしく話したことはないのだから、何とも返事が出来ない。
ただ、宮腹みやはら(皇族を母として生まれること)の人間は、ほかの人と違って気位高く、誇りがあるものなので、わが娘もそうかも知れない、と思うにみである。
しかし、ありていにいうと、北の方は、中納言家よりずっと劣った生まれであったので、出自コンプレックスを抱いているのである。
宮腹ということにこだわっているのは、ほかでもなく、北の方自身なのである。
とりたてて、姫君が憎い、というのではなく、小さい時は相応に、わが子と共に可愛がったのであるが、自我が出て来て、個性がそれぞれ目立つようになると、北の方は意識して、隔てを置きたくなってきた。
姫君の方が、すべてに出来が良い、ということの上に・・・宮腹の姫、ということに対して北の方は嫉妬を感じたのである。
この時代の人が、もっとも尊んだのは、血であった。
どんなに美しく、才幹に恵まれていても、低い門閥に生まれた者は、世にもてはやされ、重んじられることは出来ない。
天皇家に少しでも近い血すじの者は、それだけでも、人にあがめられ、重んじられるのである。
宮腹の姫、というだけで、青年たちは神秘なあこがれを抱くのであった。
北の方は、そのことにこだわりつづけている。
それでも、宮腹の姫を、落窪の君、と呼ばせていることに、女くさい陰湿な快感を感じている。しかし、それも、北の方の心の底深く巣くう、女本来のごうのようなものが、北の方を無意識にそうさせているのであって、北の方は、そういう自分の心の中を客観的に分析するような人間ではない。
何となれば、女だからである。女には、客観的な省察はできにくい。
2026/03/25
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