~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第一章 おちくぼ姫 (二)
姫君は、部屋いっぱいに布地をひろげて、縫物に夢中だった。
「まあ、朝からずうっと、お仕事でございますか。そう、根をおつめになると、おからだに さわ りますわ」
「でも、お母さまが、たいそうせかしていられたから・・・・」
姫君は、やっと手をやすめ、阿漕をみあげる。── なんと、美しい姫君だろう。
髪がまず、までたく長い。
そうして多すぎるくらいである。豊かな肩から背へなだれ落ち、衣の裾に渦巻いて、立てば身丈にあまるであろう。
髪の長いのが美人、という、この頃の風からすれば、それだけでももう、美女と言っていいが、珠をみがいたような白い 面輪 おもわ の、可憐な、品よい美しさ。そうして、ほっそりした、何か幸うすい運命を思わせる、はかなげな躯つき。
それはまるで、朝日が当たると、露のように消えてしまいはせぬか、というような、あえかな美しさである。影が薄い風情、といってもよい。そのため、姫君の美しさに、高貴なおもむきが添ってはいるが、年齢にしては暗い、さびしい感じである。
ただ、ふと動く姫君の表情に、もし順境に生い立っていたら、もっと陽気に、年齢相応の華やかさが漂っていただろう、と思わせるものがあう。
姫君の本性は、あかるくて朗かなものかも知れないが、現在のような生活の中では、なんの希望も楽しみもないのである。
(陰気に、暗いご気分になってしまわれるのは、むりないわ・・・・)
と、阿漕は同情し、姫君のために、あらゆるものに対して腹を立てている。
姫君に言い寄る、いやらしい五十男の典薬の助にも(自分に言い寄る、犬丸は黙殺すいるとしても)姫君の継母の北の方にも。
しかし、典薬の助はともかく、北の方jは、この家の 家刀自 いえとじ であり、実力者であり、当主の中納言の殿さえ、あたまが上らぬ存在なのだから、召使いの阿漕などが、面と向かって言えない。
自然に声をひそめ、
「北の方さまが、いくら、おせかしになってもそこは適当になさいます、お姫さまがあまりに従順に、なんでもはいはいとお聞きになるので、つけあがって、次から次と仕事を持って来られるのですわ。── あんまりです。まるで、これでは、お姫さまが召使いのようです」
「阿漕、お母さまのことは、悪くいわないでいおくれ。わたくしが聞き辛いわ」
「だって・・・・」
と勝気な阿漕は、いったん言い出すと、このへんで、とおさえることが出来ない。
「殿さまの姫君、という」点では、みな同じなのに、北の方さまの姫君たちは、あんなに蝶よ花よ、と大事にお育てになって、この前の、三の君さまのご結婚のにぎやかなことは、どうでした? それなのに、お姫さまは、殿のおん子の数にも入らず、こんなみすぼらしい部屋で、着るものもたべるものも差別せられて、おまけに、ご姉妹や、その婿君のお衣裳を縫うのが役目なんて、いくらご自分の実子でないからといって、北の方さまのなされかたは、あんまりですわ」
「寒くなってきたわ。阿漕、格子をおろして・・・・」
「こては、うっかりいたしました。そのつもりでまいりましたのに」
阿漕はいそいで、格子をおろしてまわる。戸外はまだあかるいが、もう室内は物の隈が濃くなっていて、秋の日暮れは早いのだ。
阿漕は小さな灯をつけた。
姫君は、ようやく みつかれたように、 ちものの台によりかかり、ほうっと息をついている。
それにしても、この部屋の、なんとみすぼらしいこと。
はずれの部屋の、しかも、ここは、床の落ち窪んだ、土間のような低い部屋なのだった。
そのため、北の方はじめ、屋敷の者は、姫君のことを侮蔑的に、
「落窪の君」
と呼んでいる。
阿漕は、それを聞くと、腹が立ってならない。姫君に向かって、なんという無礼なあだ名だろう。
「君」と呼ばせているのは、さすがに北の方が、父親の中納言をはばかって、わずかに召使いと区別しているのだが、それでも、上に「おちくぼ」などという、ばかばかしい言葉があるので、よけい屈辱的にひびく。
中納言は、この姫君を、途中から引き取ったので、さほど情愛もわかないのか、すべて北の方の宰領にまかせているので、姫君の扱いは、北の方の心ひとつである。
せめて、姫君に、しっかりしたおとなの、 乳母 めのと か、母方の近親者でもいらしたら、こんなむごい待遇は受けられなかったろうに ── と、阿漕は思う。
阿漕は、姫君の亡き母上が生きていられたころから、身近にお仕えしていた召使いだった。
姫君と、年も近いので、姉妹のような情感があって、二人はしっくりと心が結ばれていた。
阿漕は姫君を何よりの宝と大切に思い、姫君は阿漕をこの世でただ一人の頼りにする者、と信頼している。
ところが、この阿漕が、姿かたちがが美しく、気も利いているのに目をつけて、北の方が、三の君づきの侍女に使うようになった。
阿漕は、姫君よりほかの人には仕えたくないのである。。この姫君といつまでも一緒にいようと思えばこそ、叔母や、そのほかの人々が、よそのつとめ口を紹介してくれても、決して、いとまはとらなかったのである。姫君が、ひとり心ぼそそうな様子でいるのを見捨てて、にぎやかな三の君の、新婚の女あるじに仕えることなどできない。
姫君は、そんな阿漕をなぐさめて、
「同じ部屋の内なのですもの。あちらもこちらも同じじゃないの。・・・・それに、ここでは着る者ものも粗末で、お前がかわいそうだったけれど、あちらへ行けば、お前の着物もきれいにしてもらえるし、かえってわたくしは嬉しいわ・・・・」
阿漕は、姫君のやさしい心遣いに感動して、決心した。三の君に仕えよう。北の方の愛する三の君のもとでは、羽振りがよいので、うまく立ちまわって、着るもの食べるもののおこぼれを、くすねることが出来るかも知れない、と思ったのである。
それは自分のためではない、姫君のためである。
2026/03/22
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