萩の咲きこぼれている繁みから身を伸ばして、しきりに部屋のうちをうかがっている男がいる。
年のころははたちほど、この年齢にありがちな、小ずるそうな中にも、どこやら間の抜けた顔つきである。肩のあたりの色が
褪
せた、
浅葱
あさぎ
色の水干、
裾
すそ
が
埃
ほこり
で白っぽくなった
指貫
さしぬき
、それも色目さえさだかでなく、ぬりの
剥
は
げた小刀を一本腰にして、垢じみた首のうしろには、ニキビなど出していようといった風態の青年である。
彼は
勾欄
こうらん
のもとへ近寄り、格子をあげたほのぐらい室内をうかがう。このあたりは、人けもない。
簀子
すのこ
の縁も、風に吹き払われる
御簾
みす
も、何だか古びて、荒れた感じがある。
清少納言は「枕草子」の中で、
「ひとにあなどられ、軽んじられるもの」のくだりに、
「家の北おもて」
をあげている。
北側といえば、つまり、家の裏側である。
王朝時代のころは、貴族の邸宅は、南」おもてを正面とする。
北は、裏側というか、現代風にいえば勝手口という・・・・下人たちのすむ
下屋
いもや
も、北に設けられている。
立派なお邸でも、裏へまわると、むさくるしいもの、日常生活の
臭
にお
いなどがみちているものである。清少納言はそのために、「家の北おもて」を見て、取りすました
貴顕
きけん
の生活の、裏側をのぞくような気がしたのだろう。
いま、若者がうかがっているこのあたりも、
中納言
ちゅうなごん
・
源
みなもとの
忠頼
ただより
卿
きょう
のりっぱな邸宅の、北のはずれなのである。
この裏庭には、落葉や
塵芥
じんかい
が掃きよせられてうずたかくなっていたり、また窪みに雨水がたまって枯葉が降りつむに任せてあったりする。
木々は枝をおどどしく繁らせ、すすきがひとむら、ほうけた穂先を風になびかせている。人に見られる場所でもなし、と、手入れもせずうちすててあるのだろう。
若者はしゃがれ声をひそめて、
「
阿漕
あこぎ
さん ── 阿漕さん」
と呼ぶ。
すると、簀子の縁の端の、妻戸が開いて十八、九の姿のいい女が出て来た。髪の長い、色白の、身のこなしが生き生きして、はしっこそうな女である。小ざっぱりした
蘇芳
すおう
色の
袿
うちき
の裾をさばきながら、つかつかとやってきた。そうして、男を見おろし、軽蔑したようにずけずけいう。
「また来たの、性こりもなく・・・・。あんたの用なんか、わかってるわ。なんべん来てもムダってもんよ、さっさとお帰り」
「まあ、そう嫌うなって」
若者は、阿漕には弱いとみえて、そう無残に言われても怒る様子もなく、顔を赤らめてにやにやする。いや、阿漕という女が、意地悪くすればするほど、若者は心奪われて、呆けたように見とれているのである。
「阿漕さん、たのむよ。おれのご主人の恋文を、あんたの女あるじのお姫さまに手渡してくれよ。お返事はいいから渡すだけ・・・・」
「だめだって、なんべんいったらわかるの、
犬丸
いぬまる
のぼんくら」
阿漕は、可愛らしい顔立ちをしているくせに、言うことは
辛辣
しんらつ
である。
「お姫さまは決してお受け取りにならないわよ。あんたのご主人、
典薬
てんやく
の
助
すけ
に、帰ってお言い。五十をすぎた中年男のくせに、花もさかりの十七のお姫さまに求愛するなんて、身のほど知らずっていうもんだわ、おまけに典薬の助なんて、身分ちがいというものよ。こちらのお姫さまは、いやしくも、中納言さまの姫君なのよ」
「さけど、さ・・・・・・」
犬丸は阿漕の顔にみとれながら、強いて
反駁
はんばく
する。
何か返事をしゃべっていれば、そのあいだだけでも、好きな阿漕の顔を見ていられるのだ。
「ご主人の典薬の助さまは、ずいぶんむつかしい病気もなおしてさ、名医という評判なんだ。高貴な方のお邸へも出入りして、身分からいえば同じ位だよ。── それに、こちらのお姫さまは、中納言の姫君といっても、いまの北の方が生んだ姫君ではないんだろう? いうなら、まま子の姫君なので、このお邸での待遇は、実子の姫君より格段に粗末だという噂じゃないか。まま母にいじめられているよりは、典薬の助さまの北の方になられた方が、いくら幸せだか、知れはしない」
「バカ、バカ、犬丸のバカ! おだまり!」
阿漕はくやしそうに叫んだ。
「お姫さまはね、ほかの姫君たちより、血筋は尊いのよ、亡くなられた母君は、宮さまのおんむすめだったんだから。── それに」
阿漕は、イーをするように、下唇をつき出して、
「典薬の助の北の方が笑わせるわよ、あの助平爺は、ちゃーんともう妻子をもってるじゃないの、あちかましい」
「だって、男だもの ── 男が一人の妻ですむもんか。身分のある男はみな、何人も妻をもつのが、今の世間の常識じゃないか」
犬丸はふしぎそうにいう。
「お前みたいなバカには、いったって分かりゃしない」
阿漕は鼻であしらって、
「お姫さまは、そんな男と結婚なさらないんだから ──。あたしが、決して、おさせしないわ。お姫さまだけを、たった一人の妻として愛して下さる殿方を、みつけてさしあげるのよ」
青漕が言いすてて去ろうとすると、犬丸は勾欄のあいだから手をのばして、裾をとらえ、情けなさそうな声になった。
「阿漕さん、それなら、おれはあんたにぴったり、だぜ ── おれなら、終生、あんたを一人の妻として誓うがなあ」
犬丸はべそをかいて哀願する。
阿漕は思わず、ふき出した。
「犬丸ののろま。そこをお放し、お前、主人の使い出来たと思ったら、自分もついでに売りこんでいくのかい?」
「怒らないでくれよ、おれ、真剣なんだから・・・・。これが、ほどほどの懸想、ってもんじゃないか。典薬の助さまは姫君に、おれはあんたに、ねえ、阿漕さん」
犬丸は、あわれっぽくいいながら、じつはこんな男に限って、わりあい粘りづよく図々しいのである。
顔がひょこゆがむほど、勾欄にくっつけて、
「あんた、おれのことを無教養もの、と軽蔑してるんじゃないか、おれだって、歌の一つぐらいは詠めるんだ。── "くれないの、はつ花染めの色ふかく、想いし心、われを忘れめや" ・・・・わかるかい、この心、わからなきゃ、お姫さまにきいてみな、誓うよ、これはおれの初恋なんだよ・・・・」
「バカ、いやらしい、主人が主人なら、下男も下男だよ、お前さんたちはそろって色きちがいだね。お放しったら!」
阿漕は身をかがめて、青年のあたまを思いきり、紙扇でぴしりと叩いた。
扇の骨があたってかなりこたえたとみえ、
「あいた!」
と犬丸は思わず、両手であたまを防ぐ、
「ひどいじゃないか・・・・そんなに意地悪することはないだろう。女のくせに男をどやしつけるなんて、あんまりだよ・・・・」
「あたしをみくびると、ひどいことになるよ。あたしは世間並みのお人よしの女じゃないんだから」
「わかりましたよ、これだけ、どやされれば骨身にこたえるよ。でも・・・・」
と犬丸は、さっさと妻戸へ入ろうとする阿漕を追いかけて、
「考えておくれよ、ねえ、阿漕さん・・・・。このごろ、町ではやってっる歌、知らないかななあ。“
小車
おぐるま
にしきの紐といて、
宵入
よいり
に忍ばせ、わが背子よ ──”ってんだ。とてもいい、ふしまわしで、いれ拍子とって歌うの、うまいんだ。酒一、二合とたべもの持ってくるから、今夜、忍んできてもいいかなあ・・・・」
「きざったらしい、いやみな奴、お帰りッ。帰らないと水をぶっかけるよ。しッ、しッ」
「まるで野良犬みたいにいうなよ」
「お前の名は、犬丸じゃないか」
「待っとくれよ、あッあッ、阿漕さん・・・・」
縁へよりすがろうとする犬丸に目もくれず、阿漕は妻戸へ入って、かけ金をぱちんとかけた。そうして、姫君の部屋へいそぐ。
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