~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
 
~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅹ』 ~ ~
== 『 お ち く ぼ 物 語 』 ==

著:田辺 聖子
発 行 所:文 芸 春 秋
第一章 おちくぼ姫 (一)
萩の咲きこぼれている繁みから身を伸ばして、しきりに部屋のうちをうかがっている男がいる。
年のころははたちほど、この年齢にありがちな、小ずるそうな中にも、どこやら間の抜けた顔つきである。肩のあたりの色が せた、 浅葱 あさぎ 色の水干、 すそ ほこり で白っぽくなった 指貫 さしぬき 、それも色目さえさだかでなく、ぬりの げた小刀を一本腰にして、垢じみた首のうしろには、ニキビなど出していようといった風態の青年である。
彼は 勾欄 こうらん のもとへ近寄り、格子をあげたほのぐらい室内をうかがう。このあたりは、人けもない。 簀子 すのこ の縁も、風に吹き払われる 御簾 みす も、何だか古びて、荒れた感じがある。
清少納言は「枕草子」の中で、
「ひとにあなどられ、軽んじられるもの」のくだりに、
「家の北おもて」
をあげている。
北側といえば、つまり、家の裏側である。
王朝時代のころは、貴族の邸宅は、南」おもてを正面とする。
北は、裏側というか、現代風にいえば勝手口という・・・・下人たちのすむ 下屋 いもや も、北に設けられている。
立派なお邸でも、裏へまわると、むさくるしいもの、日常生活の にお いなどがみちているものである。清少納言はそのために、「家の北おもて」を見て、取りすました 貴顕 きけん の生活の、裏側をのぞくような気がしたのだろう。
いま、若者がうかがっているこのあたりも、 中納言 ちゅうなごん みなもとの 忠頼 ただより きょう のりっぱな邸宅の、北のはずれなのである。
この裏庭には、落葉や 塵芥 じんかい が掃きよせられてうずたかくなっていたり、また窪みに雨水がたまって枯葉が降りつむに任せてあったりする。
木々は枝をおどどしく繁らせ、すすきがひとむら、ほうけた穂先を風になびかせている。人に見られる場所でもなし、と、手入れもせずうちすててあるのだろう。
若者はしゃがれ声をひそめて、
阿漕 あこぎ さん ── 阿漕さん」
と呼ぶ。
すると、簀子の縁の端の、妻戸が開いて十八、九の姿のいい女が出て来た。髪の長い、色白の、身のこなしが生き生きして、はしっこそうな女である。小ざっぱりした 蘇芳 すおう 色の うちき の裾をさばきながら、つかつかとやってきた。そうして、男を見おろし、軽蔑したようにずけずけいう。
「また来たの、性こりもなく・・・・。あんたの用なんか、わかってるわ。なんべん来てもムダってもんよ、さっさとお帰り」
「まあ、そう嫌うなって」
若者は、阿漕には弱いとみえて、そう無残に言われても怒る様子もなく、顔を赤らめてにやにやする。いや、阿漕という女が、意地悪くすればするほど、若者は心奪われて、呆けたように見とれているのである。
「阿漕さん、たのむよ。おれのご主人の恋文を、あんたの女あるじのお姫さまに手渡してくれよ。お返事はいいから渡すだけ・・・・」
「だめだって、なんべんいったらわかるの、 犬丸 いぬまる のぼんくら」
阿漕は、可愛らしい顔立ちをしているくせに、言うことは 辛辣 しんらつ である。
「お姫さまは決してお受け取りにならないわよ。あんたのご主人、 典薬 てんやく すけ に、帰ってお言い。五十をすぎた中年男のくせに、花もさかりの十七のお姫さまに求愛するなんて、身のほど知らずっていうもんだわ、おまけに典薬の助なんて、身分ちがいというものよ。こちらのお姫さまは、いやしくも、中納言さまの姫君なのよ」
「さけど、さ・・・・・・」
犬丸は阿漕の顔にみとれながら、強いて 反駁 はんばく する。
何か返事をしゃべっていれば、そのあいだだけでも、好きな阿漕の顔を見ていられるのだ。
「ご主人の典薬の助さまは、ずいぶんむつかしい病気もなおしてさ、名医という評判なんだ。高貴な方のお邸へも出入りして、身分からいえば同じ位だよ。── それに、こちらのお姫さまは、中納言の姫君といっても、いまの北の方が生んだ姫君ではないんだろう? いうなら、まま子の姫君なので、このお邸での待遇は、実子の姫君より格段に粗末だという噂じゃないか。まま母にいじめられているよりは、典薬の助さまの北の方になられた方が、いくら幸せだか、知れはしない」
「バカ、バカ、犬丸のバカ! おだまり!」
阿漕はくやしそうに叫んだ。
「お姫さまはね、ほかの姫君たちより、血筋は尊いのよ、亡くなられた母君は、宮さまのおんむすめだったんだから。── それに」
阿漕は、イーをするように、下唇をつき出して、
「典薬の助の北の方が笑わせるわよ、あの助平爺は、ちゃーんともう妻子をもってるじゃないの、あちかましい」
「だって、男だもの ── 男が一人の妻ですむもんか。身分のある男はみな、何人も妻をもつのが、今の世間の常識じゃないか」
犬丸はふしぎそうにいう。
「お前みたいなバカには、いったって分かりゃしない」
阿漕は鼻であしらって、
「お姫さまは、そんな男と結婚なさらないんだから ──。あたしが、決して、おさせしないわ。お姫さまだけを、たった一人の妻として愛して下さる殿方を、みつけてさしあげるのよ」
青漕が言いすてて去ろうとすると、犬丸は勾欄のあいだから手をのばして、裾をとらえ、情けなさそうな声になった。
「阿漕さん、それなら、おれはあんたにぴったり、だぜ ── おれなら、終生、あんたを一人の妻として誓うがなあ」
犬丸はべそをかいて哀願する。
阿漕は思わず、ふき出した。
「犬丸ののろま。そこをお放し、お前、主人の使い出来たと思ったら、自分もついでに売りこんでいくのかい?」
「怒らないでくれよ、おれ、真剣なんだから・・・・。これが、ほどほどの懸想、ってもんじゃないか。典薬の助さまは姫君に、おれはあんたに、ねえ、阿漕さん」
犬丸は、あわれっぽくいいながら、じつはこんな男に限って、わりあい粘りづよく図々しいのである。
顔がひょこゆがむほど、勾欄にくっつけて、
「あんた、おれのことを無教養もの、と軽蔑してるんじゃないか、おれだって、歌の一つぐらいは詠めるんだ。── "くれないの、はつ花染めの色ふかく、想いし心、われを忘れめや" ・・・・わかるかい、この心、わからなきゃ、お姫さまにきいてみな、誓うよ、これはおれの初恋なんだよ・・・・」
「バカ、いやらしい、主人が主人なら、下男も下男だよ、お前さんたちはそろって色きちがいだね。お放しったら!」
阿漕は身をかがめて、青年のあたまを思いきり、紙扇でぴしりと叩いた。
扇の骨があたってかなりこたえたとみえ、
「あいた!」
と犬丸は思わず、両手であたまを防ぐ、
「ひどいじゃないか・・・・そんなに意地悪することはないだろう。女のくせに男をどやしつけるなんて、あんまりだよ・・・・」
「あたしをみくびると、ひどいことになるよ。あたしは世間並みのお人よしの女じゃないんだから」
「わかりましたよ、これだけ、どやされれば骨身にこたえるよ。でも・・・・」
と犬丸は、さっさと妻戸へ入ろうとする阿漕を追いかけて、
「考えておくれよ、ねえ、阿漕さん・・・・。このごろ、町ではやってっる歌、知らないかななあ。“ 小車 おぐるま にしきの紐といて、 宵入 よいり に忍ばせ、わが背子よ ──”ってんだ。とてもいい、ふしまわしで、いれ拍子とって歌うの、うまいんだ。酒一、二合とたべもの持ってくるから、今夜、忍んできてもいいかなあ・・・・」
「きざったらしい、いやみな奴、お帰りッ。帰らないと水をぶっかけるよ。しッ、しッ」
「まるで野良犬みたいにいうなよ」
「お前の名は、犬丸じゃないか」
「待っとくれよ、あッあッ、阿漕さん・・・・」
縁へよりすがろうとする犬丸に目もくれず、阿漕は妻戸へ入って、かけ金をぱちんとかけた。そうして、姫君の部屋へいそぐ。
2026/03/20
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