~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (下)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
狂気の北朝鮮
日本を取り巻くもう一つの脅威は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)です。
北朝鮮は建国直後から核開発に関心を持ち、一九八〇年代頃から、ミサイル開発と核爆弾の開発に力を注いでいました。これに対して、一九九〇年代に入ってから、アメリカや日本が危機感を強め、ミサイルや核爆弾の開発を止めないなら経済制裁を行なうと警告し実施すると、北朝鮮は開発を中断したと見せかけて経済制裁を解除させました。しかし北朝鮮は約束を守らず開発を続け、またもやアメリカや日本が抗議するということが繰り返されました。一方で、経済制裁は罪もない北朝鮮国民を苦しめることになるとして、人道的見地から宥和的な政策も取られましたが、それはかえって事態を悪化させる結果となりました。狂気の独裁者は支配する軍事国家に対し宥和政策を取ることがいかに愚かであるかは、第二次世界大戦前に、イギリスとフランスがドイツに対して行なった策を振り返れば明らかなのですが、アメリカと日本はその愚を繰り返したわけです。
しかも驚くべきことは、当時の朝日新聞をはじめとする日本の左翼系マスメディアが、北朝鮮の核やミサイルについて危機感を強めて報じなかったことです。理由は、戦後のメディア全体に浸透した「共産主義への憧れ」のようなものに加えて、「戦争のことなど考えたくない」という一種の言霊思想と「平和ボケ」が根底にあります。
平成十四年(2002)四月二十日付けの朝日新聞は「Q&A」というスタイルで「ミサイルが飛んで来たら」とう自作の質問に、「武力攻撃事態ということになるだろうけれど、一発だけなら、誤射かも知れない」と書きました。これは「戦争なんか起こらない」という平和ボケすらも超えもので、もはや「戦争が起こっても認めない」という常軌を逸した認識だったともいえます。
一九九〇年代にはミサイルを数百キロしか飛ばすことが出来なかった北朝鮮は、徐々に技術を高め、やがて日本全域をほぼ射的距離に入れるまでになりました。そして核開発に成功し、平成二十年代の終わりころには、日本に対して核ミサイルを撃ち込むことを可能としました。
ここに至って日本やアメリカは重大性に気付き、経済制裁を強化し始めましたが、遅きに失したといわねばなりません。平成三十年(2018)、シンガポールでアメリカ大統領ドナルド・トランプが北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長と会談し、核開発をやめるという言質を取ったとされていますが、はたしてこれがどこまで有効かはわかりません。
たしかなことは北朝鮮が同時に数発の核ミサイルを日本に向けて発射すれば、日本はこれをすべて撃ち落すことは出来ないと言うことです。日本をミサイル攻撃から守るためには、ミサイル発射基地を攻撃しるのが何よりも効果的なのは論をちませんが、実は現時点でそうした長距離兵器は日本にはありません。なぜなら敵地を攻撃することは「憲法九条」から解釈される「専守防衛」の理念から大きく逸脱する行為と捕らえられてきて、そうした兵器を開発することが禁じられて来たからです。令和二年(2020)になってようやく、政府内に「敵基地攻撃能力」も可能かどうかの議論を始めようという声が出始めましたが、周辺国のミサイル開発のスピードに比して、あまりにも遅いと言わざるを得ません。しかも敵基地攻撃が憲法解釈上結論が出るかどうかも不明であり、またその時点から兵器の開発が始まるとなれば、緊迫の度合いを増す国際状況において間に合うものなのか、きわめて不安です。
内憂外患
平静が始まる頃(それは二十世紀の最後の十年が始まる頃でもあった)日本は国内的にも厳しさが顕在化してきていました。バブル崩壊後は、経済の停滞と低迷が続く「失われた二十年」と呼ばれる時代へと突入し、主要な金融機関の多くが経営危機に見舞われ、いくつかは倒産しました。高度経済成長期に雇用と地方の活況を支えた製造業は、安い労働力を求めて、中国などの外国へ生産拠点(工場)を移すようになります。企業と経済のグローバル化が進むのに反比例して、地方経済の疲弊は深刻化し、雇用環境も悪化しました。
また平成には大災害が多く発生しました。阪神・淡路大震災、東日本大震災という二つの大地震が起き、それぞれ六千人余と約一万六千人が犠牲となっています。特に東日本大震災の人的被害は一都一道十八県に及ぶ、まさに未曽有の大災害でした。
大震災は経済的にも大きな打撃を与えました。加えて福島第一原発の事故が起きたことにより、東北の産品の風評被害が世界的に広まり、被災地以外の全国の多くの原子力発電所が稼働を停止する事態となり、それは今日も続いています。その分を火力発発電に頼るためにエネルギーコストが上り、これも日本の経済環境を一層厳しくしました。
長年続いてきた都市化や価値観の変化によって、日本でも昭和五十年代以降、他の先進国と同様に、いわゆる少子化が進んできましたが、この傾向が「失われた二十年」で加速したといわれています。出生率が低下し続ける一方、医学の発達により国民の寿命は延び、日本は世界で一、二を争う長寿国となりました。もちろんこれは国民全体の栄養状態が良いことと医療体制の充実が理由ですが、それだけではありません。欧米に比べて老人医療がきわめて手厚いことです。しかしその多くが保険で賄われていることで、現状の保険制度を厳しく圧迫し、国家予算を危くしている原因でもありまっす。
少子高齢化は顕著となり、今や大東亜戦争以来の大幅な人口減が避けられない状況となっています。医療費などの国庫負担が増大、年金制度も従来通りの存続が危ぶまれています。
現役世代が高齢者を支える形に設計されている社会保険制度については、平成の初めから見直しの必要性が叫ばれながら、ほとんど手がつけられまいまま今日に至っています。平成の終盤には労働力人口が減り始め、それを補うために外国人労働者が増え始めました。政府はこの流れを一層加速させるため、外国からの労働者を受け入れる新制度創設を決定しました。この決定は日本の大きな曲がり角になる要素を孕んでいます。現実に、全国の様々な都市で、大量の外国人コミュニティーが生まれ、日本人住民との間での文化的なトラブルが生じています。移民が加速すれば、いずれ日本の国柄が大きな変容を余儀なくされるかも知れません。
2026/03/09
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