日本を取り巻くもう一つの脅威は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)です。
北朝鮮は建国直後から核開発に関心を持ち、一九八〇年代頃から、ミサイル開発と核爆弾の開発に力を注いでいました。これに対して、一九九〇年代に入ってから、アメリカや日本が危機感を強め、ミサイルや核爆弾の開発を止めないなら経済制裁を行なうと警告し実施すると、北朝鮮は開発を中断したと見せかけて経済制裁を解除させました。しかし北朝鮮は約束を守らず開発を続け、またもやアメリカや日本が抗議するということが繰り返されました。一方で、経済制裁は罪もない北朝鮮国民を苦しめることになるとして、人道的見地から宥和的な政策も取られましたが、それはかえって事態を悪化させる結果となりました。狂気の独裁者は支配する軍事国家に対し宥和政策を取ることがいかに愚かであるかは、第二次世界大戦前に、イギリスとフランスがドイツに対して行なった策を振り返れば明らかなのですが、アメリカと日本はその愚を繰り返したわけです。
しかも驚くべきことは、当時の朝日新聞をはじめとする日本の左翼系マスメディアが、北朝鮮の核やミサイルについて危機感を強めて報じなかったことです。理由は、戦後のメディア全体に浸透した「共産主義への憧れ」のようなものに加えて、「戦争のことなど考えたくない」という一種の言霊思想と「平和ボケ」が根底にあります。
平成十四年(2002)四月二十日付けの朝日新聞は「Q&A」というスタイルで「ミサイルが飛んで来たら」とう自作の質問に、「武力攻撃事態ということになるだろうけれど、一発だけなら、誤射かも知れない」と書きました。これは「戦争なんか起こらない」という平和ボケすらも超えもので、もはや「戦争が起こっても認めない」という常軌を逸した認識だったともいえます。
一九九〇年代にはミサイルを数百キロしか飛ばすことが出来なかった北朝鮮は、徐々に技術を高め、やがて日本全域をほぼ射的距離に入れるまでになりました。そして核開発に成功し、平成二十年代の終わりころには、日本に対して核ミサイルを撃ち込むことを可能としました。
ここに至って日本やアメリカは重大性に気付き、経済制裁を強化し始めましたが、遅きに失したといわねばなりません。平成三十年(2018)、シンガポールでアメリカ大統領ドナルド・トランプが北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長と会談し、核開発をやめるという言質を取ったとされていますが、はたしてこれがどこまで有効かはわかりません。
たしかなことは北朝鮮が同時に数発の核ミサイルを日本に向けて発射すれば、日本はこれをすべて撃ち落すことは出来ないと言うことです。日本をミサイル攻撃から守るためには、ミサイル発射基地を攻撃しるのが何よりも効果的なのは論を俟ちませんが、実は現時点でそうした長距離兵器は日本にはありません。なぜなら敵地を攻撃することは「憲法九条」から解釈される「専守防衛」の理念から大きく逸脱する行為と捕らえられてきて、そうした兵器を開発することが禁じられて来たからです。令和二年(2020)になってようやく、政府内に「敵基地攻撃能力」も可能かどうかの議論を始めようという声が出始めましたが、周辺国のミサイル開発のスピードに比して、あまりにも遅いと言わざるを得ません。しかも敵基地攻撃が憲法解釈上結論が出るかどうかも不明であり、またその時点から兵器の開発が始まるとなれば、緊迫の度合いを増す国際状況において間に合うものなのか、きわめて不安です。
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