~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (下)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
平 成
日本がバルブで浮かれている昭和六十四年(1989)一月七日、昭和天皇が崩御しました。
満洲事変、二・二六事件、盧溝橋事件、大東亜戦争、敗戦、連合軍による占領、そして戦後の復興と、まさに激動の時代であった「昭和」が幕を下ろした瞬間でした。
昭和天皇は戦後、GHQが押し付けた憲法によって「日本の象徴」とされましたが、それ以前も昭和天皇は「君臨すれども親裁せず」の姿勢を貫いていました。昭和天皇が政治的判断を口にしたのはわずかに三度 ── 「張作霖爆殺事件」に関する内閣の報告に不満を述べた時と、「二・二六事件」で反乱軍を鎮圧せよと言った時、そして「ポツダム宣言」を受託する時 ── のみでした。 たしかに大日本帝国憲法下では、天皇は日本の統治者でした。しかし日本の歴史上、それは例外的なものといえるかも知れません。平安時代以降、約八百年の長きにわたり、天皇は政治の実権から離れていたのです。にもかかえわらず、時の権力者は誰もその地位を奪おうとしたりはしませんでした。天皇は神聖にして冒すべからず存在であり、畏れ多いものであったからです。したがて日本国憲法の第一条に書かれる以前に、天皇は日本の象徴的存在だったのです。憲法条文はそれを初めて文明化したものといえます。
戦後、昭和天皇は、全国各地を行幸し、敗戦に打ちひしがれた国民を励まし、日本と国民のために祈ることを自らの使命として生きてきましたが、実はこれは歴代天皇の歩みと同じだったのです。
日本の天皇は、代々、国のために祈りを捧げる祭主であり続けたのです。
バルブ崩壊
平成に入って最も大きな国内の事件の一つはバブルです。
昭和六十一年(1986)、日本経済は「バブル」と呼ばれる空前の好景気を迎えていました。株価は跳ね上がり、日本の金融資産は膨れ上がりました。昭和の終わりには、日本の地下の総額は約二兆円といわれ、東京二十三区内の土地でアメリカを二つ買えるいわれたほどでした。実際に多くの企業が海外の土地や企業を買収しました。
しかしこれは土地投機がもたらしただけの文字通り「バブル」(泡)にすぎず、平成二年(1990)、総量規制によってあっけなく崩壊しました。そのため土地価格が暴落し、それらを担保に取っていた多くの金融機関が多量の不良債権を抱えて経営不振に陥りました。
バブル崩壊で失われた日本の資産は、土地、株だけで約一千四百兆円といわれています。その打撃はオイルショック以上とされ、これを機に昭和四十八年(1973)から続いていた安定成長期は終わりを告げ、日本は長い低成長時代に入ります。
2026/03/06
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