日本がバルブで浮かれている昭和六十四年(1989)一月七日、昭和天皇が崩御しました。
満洲事変、二・二六事件、盧溝橋事件、大東亜戦争、敗戦、連合軍による占領、そして戦後の復興と、まさに激動の時代であった「昭和」が幕を下ろした瞬間でした。
昭和天皇は戦後、GHQが押し付けた憲法によって「日本の象徴」とされましたが、それ以前も昭和天皇は「君臨すれども親裁せず」の姿勢を貫いていました。昭和天皇が政治的判断を口にしたのはわずかに三度 ── 「張作霖爆殺事件」に関する内閣の報告に不満を述べた時と、「二・二六事件」で反乱軍を鎮圧せよと言った時、そして「ポツダム宣言」を受託する時 ── のみでした。
たしかに大日本帝国憲法下では、天皇は日本の統治者でした。しかし日本の歴史上、それは例外的なものといえるかも知れません。平安時代以降、約八百年の長きにわたり、天皇は政治の実権から離れていたのです。にもかかえわらず、時の権力者は誰もその地位を奪おうとしたりはしませんでした。天皇は神聖にして冒すべからず存在であり、畏れ多いものであったからです。したがて日本国憲法の第一条に書かれる以前に、天皇は日本の象徴的存在だったのです。憲法条文はそれを初めて文明化したものといえます。
戦後、昭和天皇は、全国各地を行幸し、敗戦に打ちひしがれた国民を励まし、日本と国民のために祈ることを自らの使命として生きてきましたが、実はこれは歴代天皇の歩みと同じだったのです。
日本の天皇は、代々、国のために祈りを捧げる祭主であり続けたのです。 |
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