昭和三十年(1955)から始まったベトナム戦争は、最初は植民地支配を復活させようとするフランスとベトナムとの戦いでしたが、その後、「アメリカ・南ベトナム」対「北ベトナム」の戦いへと移り変わりました。アメリカは、ベトナムの共産主義化を防ぐために参戦したのですが、ソ連の支援を受けた北ベトナムのゲリラの前に、予想外の苦戦を強いられました。
そこでアメリカは、ソ連と対立していた中華人民共和国に接近します。すでにベトナムからの撤退を模索していたアメリカは、冷戦の枠組みの再編成が必要と考えており、中華人民共和国への接近はそれも睨んでのことでした。アメリカの動きを見た日本は、中国共産党からの工作もあって、昭和四十七年(1972)、アメリカに先駆けて中華人民共和国と電撃的に国交を樹立させます(アメリカが中国と正式に国交を結ぶのは七年後)。同時に、それまで国交のあった蒋介石の中華民国(台湾)との関係を、国内の反対をふりきって、あっさりと断絶しました。
この日中国交回復に関しては、いつも「反政府」「反米」一色のマスメディアや左翼系の学者、知識人もまったく反対せず、対米追従をむしろ大歓迎しました。彼らにとって、共産主義国の中華人民共和国と日本が仲良くなることは喜ばしいことだったのです。
昭和四十八年(1973)、平和協定が成立してアメリカ軍はベトナムから完全撤退しましたが、アメリカの威信はここで大きく揺らぎ、「世界の警察」という絶対的な力を失っていきます。以降、世界の様々な地での紛争が生じていくようになります。
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