~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (下)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
大国のはざまで揺れる日本
昭和三十年(1955)から始まったベトナム戦争は、最初は植民地支配を復活させようとするフランスとベトナムとの戦いでしたが、その後、「アメリカ・南ベトナム」対「北ベトナム」の戦いへと移り変わりました。アメリカは、ベトナムの共産主義化を防ぐために参戦したのですが、ソ連の支援を受けた北ベトナムのゲリラの前に、予想外の苦戦を強いられました。
そこでアメリカは、ソ連と対立していた中華人民共和国に接近します。すでにベトナムからの撤退を模索していたアメリカは、冷戦の枠組みの再編成が必要と考えており、中華人民共和国への接近はそれも睨んでのことでした。アメリカの動きを見た日本は、中国共産党からの工作もあって、昭和四十七年(1972)、アメリカに先駆けて中華人民共和国と電撃的に国交を樹立させます(アメリカが中国と正式に国交を結ぶのは七年後)。同時に、それまで国交のあった蒋介石の中華民国(台湾)との関係を、国内の反対をふりきって、あっさりと断絶しました。
この日中国交回復に関しては、いつも「反政府」「反米」一色のマスメディアや左翼系の学者、知識人もまったく反対せず、対米追従をむしろ大歓迎しました。彼らにとって、共産主義国の中華人民共和国と日本が仲良くなることは喜ばしいことだったのです。
昭和四十八年(1973)、平和協定が成立してアメリカ軍はベトナムから完全撤退しましたが、アメリカの威信はここで大きく揺らぎ、「世界の警察」という絶対的な力を失っていきます。以降、世界の様々な地での紛争が生じていくようになります。
「ベ平連」の欺瞞
その頃、世界各地で、ベトナム戦争に介入するアメリカへの抗議の声が上っていました。当時、世界の多くの人々が、アメリカの介入をベトナムの民族自決権を奪う行動だと見做していたのですが、これは一面的な見方に」すぎません。たしかに南ベトナムはアメリカの支援を受けていましたが、北ベトナムもまたソ連の支援を受けていました。つまりこれは二大国の代理戦争だったのですが、ソ連は巧妙に表に出ることなく武器などを提供して、実戦は北ベトナム人にやらせていました。加えて西側諸国内で巧みなプロパガンダ(政治宣伝)を展開したため、各国のリベラル層がアメリカを一方的に非難し、その空気は日本にも及ました。
そして作られたのが「ベ平連」(正式名称・ベトナムに平和を!市民運動)という市民団体です。
彼らは「ベトナム戦争反対」のデモや運動だけでなく、平和運動と称して、企業を攻撃したり、基地建設や成田空港の建設反対などの闘争に参加したりもしました。
しかし冷戦終結後、「ベ平連」にはソ連のKGB(ソ連国家保安委員会=ソ連の秘密諜報組織)
からの支援があったことが判明します。つまり「平和運動」という隠れ蓑を着たソ連の活動団体だたっというわけです。「ベ平連」の末端メンバーはそのことを知らずに活動していましたが、幹部クラスはそのことを知りながら、平和を口にし、マスメディアを使ってアメリカとその同盟国である日本を強く非難していたのです。
「ベ平連」は一種典型的なものでしたが、日本の反戦運動・反核運動・反アメリカ軍基地運動・平和運動などが、ソ連や共産主義国からに支援を受けていたというケースは少なくありません。それどころか、当時、日本のみならず世界各地で起こった「反戦・反核」の運動にはソ連の支援を少なからずあったと言われています。
「ベ平連」はアメリカ軍の「良心的兵役拒否」の脱走兵をソ連に亡命させる活動も行なっていましたが、後にソ連から「重要な機密を知っているアメリカ兵でなければ亡命は受け付けない」と告げられています。
2026/03/02
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