~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (下)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
コラム-29
沖縄の祖国復帰運動に起ち上ったのは沖縄教職員会でした。彼らはまず「日の丸」掲揚運動を行ないました。当時、アメリカの施政下にあった沖縄では祝日以外には公の場で「日の丸」掲揚は禁止されていたため、沖縄の人の多くは「日の丸」を持っていませんでした。それを沖縄教職員会は時には自分たちのお金を出してまで日の丸を購入し。貧しい家庭に配ったのです。この運動に感動した本土の人々からも大量の日の丸が沖縄に送られました。
そんな中で感動的な出来事がありました。昭和三十九年(1964)九月七日に行なわれた東京オリンピックのための沖縄での聖火リレーです。日本航空の特別機で那覇空港に到着した聖火を迎えるために、二万人の島民が集まり、一斉に日の丸の小旗を振り、「万歳三唱」を繰り返したのです。アメリカ軍もこの日ばかりは日の丸の掲揚を黙認しました。まさに「日の丸」こそ、沖縄の人たちにとって、祖国日本に対する熱烈な思いの象徴だったのです。
しかしその後、沖縄の状況は変わっていきます。社会党と日本共産党が、米軍全面撤退を含めた「無条件・全面返還」という非現実的な要求を掲げて核抜き・本土並み」の条件での返還を求める日本政府を批判するようになったからです。また朝日新聞などの一部メディアも「即時・無条件・全面返還」を盛んに煽るようになりました。
実際に、社会、共産両党は、沖縄を「反米・反戦の象徴」にして沖縄の勢力を広げ、また60年安保で闘争を繰り広げた全学連の活動家たちも沖縄を階級闘争の新たなる拠点とすべく沖縄に入り込んでいました。祖国復帰運動の中核だった沖縄教職員会はこうした革新勢力に乗っ取られるような形で、急速に左傾化しました。教職員会が母体となっていた沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)も「即時・無条件・全面返還」を唱えるようになり、ついには「返還協定粉砕」を掲げるようにまでなりました。
この状況は、かつて「サンフランシスコ講和条約」に社会党と共産党が反対した構造に酷似しています。彼らは反米・反戦のイデオロギーのために、「沖縄の本土復帰」を潰してもいいと考えていたのです。復帰を翌年に控えた昭和四十六年(1971)九月、沖縄教職委員会は解散し、沖縄県教職組合(沖教組)に変わりました。この頃はすでに学校で国歌斉唱、国旗掲揚が行なわらなくなっていたどころか、多くの教師が「日の丸・君が代」反対を唱えるようになっていました。
昭和四十六年(1971)六月十七日、日本政府は沖縄返還協定に調印しました。国会がこの協定を承認して批准すれば返還が正式にきまります。ところが、復帰協は「批准阻止」を掲げて沖縄全島でのゼネストを呼びかけたのです。その一方で、沖縄の本土復帰を何よりも願う人たちもいました。不幸なことに、沖縄の世論と心は二つに分れてしまったのです。
そして半世紀後の今もなお、沖縄は社会党と共産党、それに左翼活動家の重要拠点となり、多くの問題を抱えています。近年では、そこに中国や北朝鮮の活動家も入り込んでいるといわれています。
2026/03/01
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