戦後しばらくは食うや食わずであった国民生活も、昭和二十年代後半から余裕が生まれ、昭和三十一年(1956)の経済白書は「もはや戦後ではない」と書かれました。一般家庭でも電気洗濯機、電気炊飯器、電気掃除機などの家庭用電化製品が使われ始めました。
しかし国民の生活に最も大きな影響を与えた家電といえばテレビでした。テレビが一般家庭に普及し始めたのは昭和三十四年(1959)頃からです。皇太子ご成婚で普及が進み、その後、昭和三十九年(1964)の東京オリンピックでカラーテレビが普及します(十年後の昭和四十九年【1974】には普及率85パーセントになっている)。
公共放送のNHKを除いて、民間のテレビ事業に参入したのは新聞社でした。多くの先進国では新聞社がテレビ局を持つこと(クロスオーナーシップという)は原則禁止されていますが、なぜか日本政府はそれを容認しました。
先進諸国の多くでクロスオーナーシップが禁止されている理由は、それによって言論の自由と多様性が制限されるからです。実際、日本ではこれによって新聞とテレビが一枚岩となり、世論は新聞社とテレビ局によって操作されるようになりました。「60年安保」の報道はその典型的な例で、メディアによる世論誘導・イメージ操作が大々的に行なわれました。
また日本のテレビ局は許認可事業ですが、昭和三十年半ば以降、全国にネットワークを持つ東京のキー局(キーステイション)に関しては、政府は新たな企業の参入を受け入れておらず、そのため半世紀以上にわたって、国民の共有財産である電波を、わずか数局が独占するという異常な状況が続いています。ちなみに元は同じ資本の会社である関係上、新聞社とテレビ局は、よほどの事件でもない限り、互いの不祥事や不正を報道したり批判したりすることはありません。
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