~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (下)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
テレビの登場
戦後しばらくは食うや食わずであった国民生活も、昭和二十年代後半から余裕が生まれ、昭和三十一年(1956)の経済白書は「もはや戦後ではない」と書かれました。一般家庭でも電気洗濯機、電気炊飯器、電気掃除機などの家庭用電化製品が使われ始めました。
しかし国民の生活に最も大きな影響を与えた家電といえばテレビでした。テレビが一般家庭に普及し始めたのは昭和三十四年(1959)頃からです。皇太子ご成婚で普及が進み、その後、昭和三十九年(1964)の東京オリンピックでカラーテレビが普及します(十年後の昭和四十九年【1974】には普及率85パーセントになっている)
公共放送のNHKを除いて、民間のテレビ事業に参入したのは新聞社でした。多くの先進国では新聞社がテレビ局を持つこと(クロスオーナーシップという)は原則禁止されていますが、なぜか日本政府はそれを容認しました。
先進諸国の多くでクロスオーナーシップが禁止されている理由は、それによって言論の自由と多様性が制限されるからです。実際、日本ではこれによって新聞とテレビが一枚岩となり、世論は新聞社とテレビ局によって操作されるようになりました。「60年安保」の報道はその典型的な例で、メディアによる世論誘導・イメージ操作が大々的に行なわれました。
また日本のテレビ局は許認可事業ですが、昭和三十年半ば以降、全国にネットワークを持つ東京のキー局(キーステイション)に関しては、政府は新たな企業の参入を受け入れておらず、そのため半世紀以上にわたって、国民の共有財産である電波を、わずか数局が独占するという異常な状況が続いています。ちなみに元は同じ資本の会社である関係上、新聞社とテレビ局は、よほどの事件でもない限り、互いの不祥事や不正を報道したり批判したりすることはありません。
日韓基本条約
昭和四十年(1965)、日本は韓国と「日韓基本条約」(正式名称・日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約)を結んで国交を正常化しました。この条約と同時に締結された「日韓請求権・経済協力協定」で、日本政府が韓国に支払った金は無償で三億ドル、有償で二億ドル、民間借款で三億ドル、その他を含めると十一億ドルにものぼりました。これは当時の韓国の国家予算の2.3倍にあたるものでした。
すべて外資で支払われましたが、当時の日本には外資が十八億ドルしかなく、国民が死に物狂いで働いて得た中から、まさに身を切る思いで支払いました。しかも併合時代に日本政府が朝鮮半島内に残した五十三億ドルにのぼる資産はすべて奉持した上でのことです(他に巨額な民間資本も残したままであった)
日本と韓国とは戦争をしていないので、本来は賠償義務は生じないため、これらは「賠償金」ではなく、「経済協力金」と呼ばれました。義務がないにもかかわらず、日本が韓国にこれほどまでの多額の金を払ったのは、ソ連や北朝鮮、中国の脅威に対抗するという安全保障の観点から韓国との関係改善が必要だったからです。また、GHQによって「贖罪意識」を植え付けられていたことや、韓国が李承晩ラインによって多くの日本人漁民を抑留していたことから、日本政府は彼らを救うために不当なまでに巨額の金を提供したという側面もありました。
韓国は日本から莫大な金を得て、「対日請求権」をすべて放棄することに合意しました。請求権協定には「完全かつ最終的に解決されたことを確認する」との文言が明示され、締結日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることが出来ないものとする旨の一文もあります。これにより昭和二十年(1945)八月十五日以前の日韓問題は「完全に、かつ最終的に解決」しました。ところが、韓国はその後も条約を無視して、日本に新たな謝罪と賠償を再三要求することになります。
敢えて補足すると、「日韓基本条約」を結ぶ際、日本政府は韓国政府に対して、「併合時代の朝鮮人に対する賠償を行ないたいので、資料を出してほしい」と要求しましたが、韓国政府は「個人への補償は韓国政府が行なうから、日本はその金を含めて一括して支払え」と回答しました。ところが韓国政府は個人への補償を怠ったのです。
これだけでも呆れる話ですが、韓国はその後、日本政府に対し、慰安婦や戦時徴用工への個人補償をしろと執拗に要求するようになります。
2026/02/21
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