~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (下)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
独立するアジア諸国
大東亜戦争で日本軍に追われたイギリス、フランス、オランダは植民地支配を復活させるために、戦後、東南アジアに軍を派遣しました。しかし、すでに民族主義に目覚めていた東南アジア諸国の人々は列強にひるまず勇敢に戦い、次々に独立を果していきます。
東南アジアの諸国民は、欧米列強による長い植民地支配にとって、「アジア人は白人に絶対に勝てない」と思い込んでいました。その認識を覆したのが、日本人でした。
無敵の強者と思われていた白人をアジアから駆逐する日本軍を見て、彼らは自信と勇気を得たのです。
シンガポールの元首相ゴー・チョクトンはこう言っています。
「日本軍の占領は残虐なものであった。しかし日本軍の緒戦の勝利により、欧米のアジア支配は粉砕され、アジア人は、自分たちも欧米人に負けないという自信を持った。日本の敗戦後十五年以内に、アジアの植民地は、すべて解放された」(「諸君!」平成五年七月号)
インドの元大統領サルヴパッツリー・ラーダークリシュナンはこう言っています。
「インドでは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像も出来なかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持が起きた」(日本経済新聞、昭和四十四年)
ビルマ(現在のミャンマー)の元国家元首バー・モウはこう言っています。
「歴史的に眺めてみると、日本ほど、アジアを白人の支配下から解放するのに尽くした国は、他にどこにもない」(『ビルマの夜明け』バー・モウ著/横堀洋一訳)
こうした声は一部の人たちだけのものではありません。東南アジア諸国の歴代の首相や大統領、それに大臣や軍人の多くが、今日でも「独立は日本のお陰だった」と名言しています。近年でも、平成二十八年(2016)に来日したミャンマーのセイン・ウィン国防大臣は当時の稲田朋美いなだともみ防衛大臣との会談で次のように発言しています。
「わが国の独立の歴史において、日本と旧日本軍による軍事支援は大きな意味があった。(中略)アウン・サン将軍が『ビルマ独立義勇軍』(BIA)を設立し、BIAと日本軍が英国の植民地支配を打ち倒した。ミャンマーは日本兵と日本に対し、いつも感謝している」(産経ニュース/デジタル版、平成二十八年九月二十一日)
日本が戦争中、東南アジアの地域進軍し、一時的に占領したことは事実です。しかし日本軍が欧米列強を追い出したことによって東南アジア諸国が独立を勝ち得たこともまた紛れもない事実です。
また戦後、多くの日本兵が現地に残り、東南アジアの人々とともに欧米の軍に対して独立戦争を戦って命を落としています。インドネシアでは役二千人の日本兵がインドネシア人とともに四年にわてってオランダと戦って独立を勝ち取りました。同国の各地の英雄墓地には、この戦いで死んだ多くの日本兵が埋葬されて眠っています。本来なら大東亜戦争の終結で故国へ戻れたはずの日本人が「インドネシアの独立を叶える」と言った約束を守るために命を懸けたのです。
再び混乱する世界
第二次世界大戦の終結は決して世界に平和をもたらしませんでした。ソ連は東ヨーロッパの国々を呑み込み、無理矢理に共産化して、ソ連の衛星国家としました。ソ連の政策に反対する者たちはたとえ首相であっても粛清されました。
昭和二十三年(1948)、ソ連が西ドイツと西ベルリンの間の道路を封鎖し、東西ドイツの分裂は確定的となり、「冷戦構造」がはっきりしました。(冷戦の始まりは昭和二十年【1945】のヤルタ会談)。昭和二十四年(1949)、西側諸国はソ連と共産主義の進出を抑えるために軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)を結成すると、ソ連もまた昭和三十年(1955)に東ヨーロッパ諸国とワルシャワ条約機構(WTO)という軍事同盟を結成して対抗しました。
中国大陸では蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる中国共産党が内戦を再開し、昭和二十四年(1949)に中国共産党が勝利して「中華人民共和国」が生まれました。蒋介石は台湾に逃れ、その地が「中華民国」となります。ちなみに戦前、中国共産党が勢力拡大のため実施した行動方針が、「一村一焼く一殺、外加全没収」でした。これは「一つの村で一人の地主を殺し、その家を焼き払って、彼の全財産を没収する」という意味です。具体的には、共産党が村の地痞ディーピー(ならず者)と手を組み、地主を人民裁判で処刑し、全財産を没収した上で、彼の土地を村人に分け与え、その代わりに村人から何人かの若者を中国共産党に兵隊として差し出させるというものです(その後、地痞は村の共産党幹部となる)。ちなみにこの時に処刑された地主は五年間で約十万人といわれています。こうして力を得た中国共産党は、国民党に勝利して全土を支配すると、とちはすべて国歌のものであるとして、農民から農地を奪い取ったのです。
さらに毛沢東は政敵を次々に粛清し独裁体制を築きます。建国後、中華人民共和国は「一村一焼く一殺、外加全没収」を徹底して行ない、それによって処刑された地主は約二百万人といわれています。
朝鮮半島では、戦後、北緯三十八度線から南をアメリカが占領し、北側をソ連が占領していましたが、昭和二十三年(1948)に、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)という二つの国がそれぞれ生まれました。北朝鮮建国の時、ソ連は自国で思想教育した金成柱という人物を「金日成」として送り込んで国家首席に据えました。「金日成」は1920年頃から朝鮮の民衆の間に伝わる抗日ゲリラの伝説的人物で、実在の人物ではないともいわれています。
朝鮮半島と中国大陸に共産主義国家が誕生したことで、極東でも冷戦状況が生まれました。皮肉なことに、このことがその後の日本の運命を分けました。日本を東南アジアにおける共産主義の防波堤にしようと考えたアメリカは、日本を工業国として復興させようという方針を取ったのです。
2026/02/14
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